episode  7   呪ボサラ号の航海

1991 CURSE JOURNAL OF VOYAGE ("bosara")

1991年11月1日      (11月1日(日本時間)10月31日1991年(北大西洋)=この日は日本人女性ジャズピアニストによる予言、わたしのデッドライン。しかし、わたしはタンカーとのアロングサイドで死にそうに成ったものの、助かりました!!) 1991

 2000年8月に映画パーフェクトストームを観て、原書を読んでから私はこの予言された11月1日を気にしだしました。そしたらそれ以後の11月1日にはデッドラインにふさわしい出来事が続いて起きたのです。

 

20001年11月1日 バンコク焼肉カーニバル消滅

 1993年以降営業してきたこの店で私はマネジャーとして働いてきました。しかし、この店が消滅したことによって私と家族は路頭に迷うことになりました。これは、ボサラ号の消滅へとつながっているのでしょうか?

 

 

2002年11月1日  タイ、イサーンへと仕事

 路頭に迷っていた私にようやくに仕事が入りました。しかしこの(再生)に見えたイサーンの仕事は、胃潰瘍から胃癌へとのエスカレーターでした。これは、タンカーパールに救助された事へとつながるかもしれません?

 

2003年11月1日  胃癌宣告

 イサーンからチョンブリえと、まともに食事を出来ない境遇に追い込まれて仕方なく辛い現地の食事に頼るしかなかった私でした。この生活の変化が胃潰瘍、胃癌へとたどる手助けになったと思われます。しかし、よりによってこの日(11月1日)に癌宣告を受けるとは・・・!? 1993年の女性ジャズピアニストの予言は、いまだに私を呪い生きつづけているのかと思わざるを得ない現実でした。これは、沢山の人が海に死んだのにも関わらずに生かされている私へのバランスのための生き地獄かと思います?

 このようにして続いた(私のデッドライン11月1日)の出来事です。1991年から2001年まで私はこのデッドラインを考えずにいきてきましたから、この間の11月1日に何があったかは覚えていません。思うに、いろいろな出来事があったのではと考えます。しかし2000年にパーフェクトストームを観て以来続いた、私自身の進退に関する出来事は2003年の癌先刻いらい終わったように思われます。ということは日本人女性ジャズピアニストの予言は、その呪いは13年目にして消えたと思っていいのかもしれません。その後の11月1日は、私自身ではなくて関連記事が新聞に載っています。

 

2004年11月1日  バックパッカー香田さん中東にて斬首される!!

 私への呪いのデッドライン、パーフェクトストームの1991年11月1日からかっきり13年目になります。ようやくに私への呪いは解けたのではないかと思われます。なぜならこの年の私のデッドラインは、私には何も変化はなかったのですが新聞に旅人香田さんがイラクにてテロリストに斬首されるというむごい記事が載っていました。この記事を見て、これは、私と想念の世界ではつながっている事件だと感じました。それは私もかつてはバックパッカーであったこと。また中東イランを旅しているときに私は2度も暴漢に襲われていること。私は結果無事でしたが、この想念の流れの果てに香田さんは私の身代わりになって殺されたのではないかと、その類似性に戸惑う私です。

  

 

2005年11月1日 混沌のアメリカ

 私からは離れたらしい呪いは昨年の中東からアメリカへと変化して行きました。2005年11月1日の新聞には。出口の見えないイラク問題にブッシュ政権は支持率を著しく下落させている。ブッシュ独断による盗聴事件記事。アメリカ自動車メーカーの衰退、トヨタの光芒。やはり私が体験した地球行脚中東やアメリカ空軍州兵、パーフェクトストームによるアメリカの欺瞞。これ等の流れの持続かもしれません?

    

 

2006年11月1日 菩薩羅(ボサラ)号のコックピットにエコーした矢代亜紀

北大西洋で1991年11月単独航海中のボサラ号のコックピットには全天候用のスピーカーがセットされていて、浪々と歌い上げる矢代亜紀の演歌が、時化の外洋での私を慰めてくれました。私の呪われたデッドライン11月1日は、バンコクにての矢代亜紀コンサートへの招待でした。私のNYでのヨッティング最中の海上でフルボリュームで響かせた彼女の肉声が聞けたのです。

バンコククイーンズパークホテルで催されたアーサン主催の矢代亜紀ショーに2006年11月1日に私は招待を受けたのです!!ここに至ってはっきりとコスモによって15年前に私に植え付けられた呪いのデッドラインは溶解したと思われます!!