episode 10 地球行脚 (失恋そしてブッダとの出会い) 完結

1976 PILGRIMAGE of EARTH (meet of buddha)

ニューヨーク NEW YORK

1970年代前半。私(28歳)はNYのマンハッタンにいました。ミッドタウンから5番街を北に向かって歩くと東西にクロスする57丁目に行き当たります。これを左に曲がると左側に宝石商ティーファニーがあり、かつての名画(ティーファニーで朝食を)のオードリーヘップバーンを偲びながら、ショーウインドウを目の端にとらえて数ブロック行くと、音楽の殿堂カーネギーホールが左手に赤黒くそびえます。そこからすぐのブロードウエイ手前右側に私が通うアートステューデントリーグ(NYファインアートアソシエイション=プロを目指すアーティストの卵の集団)があります。

私は油絵を専攻していました。畳一畳分ぐらいあるおおきなキャンバスに体で描くという感じのポップアートに私は魂を奪われていました。尊敬に値するこの時の私の師匠モーリスカンターの指導は冷静、的確、加えて生徒に対する愛があふれていました。師匠がキャンバスに向かっている私のからわらに来て、じっとキャンバスを見て一筆タッチを入れるだけで、その描きかけのキャンバスが急に生き始めるのです!!その的確な指導はすでに彼の伝説に近い評価を世間からは受けていました。私は入学して一年後にリーグ内コンペに出品しました。このコンペは毎年数人を選んで当選とし、一年月謝フリーというスカラシップをくれるものです。私は当選しました。二年目も出品して私は当選はしたのですが、スカラシップは在学中に一年しかもらえないということでした。 この時点で、何年か後にはマクドウエルスカラシップをトライしようと心に決めたのです。これはパリ留学一年間というもので年に二人だけがこの栄誉を手にすることが出来ます。これに選ばれて初めてプロへの道が開かれるだろう.私は自分にそう言い聞かせて昼は画学生、夜はバイトという時間帯の毎日を送っていました。そんなときにタカコに出会ったのです。

1973年,マンハッタンの新しいシンボル、ツインタワー(ワールドトレードセンター)が完成した年です。私は彼女に一目ぼれしてしまいました。若さゆえの特権で、何ごとであれ望んだら得られるのだと思い込んでいる単純ノー天気な私がいたのです。彼女はビジネススクールに通う学生であり、マンハッタンのきらびやかな喧騒と汚濁の中にあって、まるで陽のぬくみをうけて純白にまどろむ蓮の花かと思わせる雰囲気を持っていたのです!!(この蓮の花を咲かせる沼底が泥沼だとは、まだ知らない私でした) たぶん、私は、すでに恋の盲目におちいっていたのでしょう。

早速アプローチしました。

「ウイークエンドに映画に行きませんか?」

「行きません」

簡単に断られました!! 又、次の週に、

「ブロードウエイのミュージカルキャッツを見に行きませんか?」

「行きません」

けんもほろろです。それでもあきらめはしない私でした。

「どう今度のウイークエンド時間ないですか、セントラルパークに行かない?」

「時間ありません」

 なんとまあさわやかに、そしてにこやかに私からのデイトの誘いを断る彼女だったでしょう。この調子で毎週声をかけて4回になりました、、、!!1月が巡ってしまったのです。ここで私は始めて考えてしまいました。横須賀の百姓屋に三男として生まれて横浜、東京と移動してからシスコに渡り、そしてここニューヨークへとやってきて、これぞ我が道なりと絵描道にのめっている私でした。気は高揚し充満していたのです。成せば成るのだとここまでやってきた私でしたから、この現実には正直戸惑ったものです。高慢な鼻を叩きおられた感じでした。そして、これはどう考えてもきっぱりとアキラメざるを得ない現実でしたから、そのようにしました。この世には私が望んでも成らない事があるのだと自分に言い聞かせて、タカコ攻略に終止符を打ったのです。そしたら、その翌週に今度は彼女から声がかかってきたのです?

「どうしたのトミさん、、今度のウイークエンドは誘ってはくれないのかしら?」

天地がひっくり返りました!!

「どうしてって、いっつも時間がないからとタカちゃんは俺の誘いを断ってきたでしょうがあ。だけどなに、、今度は時間があるの?」

「そうねえ午後に3時間ぐらいならば、大丈夫かなあ、、、」

「だったらセントラルパークでも散歩しますか」

「OK、、トミ」

、、、 こうして私はタカコと付き合い始めたのです。数カ月後には同棲を始めました。天にものぼる気持ちで私はタカコを慈しみました。そして、それは、余りにも一方的な愛だったようです!!なぜなら彼女にとっては、彼女にとっての本当の星の王子様に出会うまでのつかの間の止まり木、そのような気持ちで私と暮らし始めたようなのですから!?

(この韓国人スターのイメージ写真は、私の姫タカコの面影を良く表しています、、もしかするとタカコは大陸系血筋の女性かもしれませんね)

すけるような白い肌が朱に染まるかと思えるほどに熱く息づきました。満ちた時間が圧縮されてまどろんでいるようでした。56丁目8番街の私のアパートのベッドルームには夕日が差し込んでいます。ぬれたままの私の腕と胸に、その裸身をあずけたままタカコがつぶやきました。
「トミさんねえ、、、アタシ、トミと暮らし始めてしまったけど、、アタシ、きっと、、、トミのお嫁さんには成れないからね、、。」

「どうして、、!!」

「あのね、絵描志願のトミって好きよ。でもね、だったら、アタシの一切を保護できる、だんな様には、トミいったいいつ成れるのかしら?」

これは、きつい質問でした、でも応えなくてはいけません。あるまんまの私の気持ちを。

「それは、アートリーグのスタジオにこれからまだ3年は通うとして、それからマクドウエルのスカラシップで1年はパリへ留学する。よしんばスカラシップに落ちてもやはりパリでは絵を描いてみたいから、今からそのための金はためていく。それから又ニューヨークへと帰ってきてプロとしての修行に最低は5年かかるよ。それでニューヨークの画壇にプロとして認められたのなら、その時に初めてタカちゃんを嫁に迎えられるから、だいたい、これから10年後になるよ!!」

これが私の結婚観だったのです。自分の道で稼いではじめて嫁を養える、、、!!それまでは嫁を取らない。

「トミねえ、アタシ今が結婚適齢期なのよ、10年したらおばあちゃんに成ってしまうは」

寝物語にこうはっきりといわれてしまったら、わたしの立場はありません。ですから、

「でも俺はたかちゃんをはなさないよ、、、いつまでも、、、」

そう言うしかない私でした。そうして、2年の月日が流れました!! 私はとにもかくにも彼女と日々一緒にいられるだけでとっても幸せでしたが、はじめてタカコが波紋を投げかけてきました。予定のビジネススクールでの学業を終えた後でした。

「アタシ、日本で実務の勉強をしてこようと思うの。中堅会社の社長秘書だけど、向こうは最低でも半年から1年は欲しいと言ってるのよ」

私には絵描道があるように、これはタカコの道でした。だから、私には、そんなことになったら淋しいから行かないで欲しいとは言えませんでした。それに、長くても1年で帰って来ると彼女は言ってるのだから、、!! こういう場合はたとえ1年が5年になっても私の性格は、悶々としながらでも離れて恋うる自分にまた恋をしながら待つのでした。タカコは東京へと帰りました、実務、、勉強のために、、、(それが実はだんな探しの旅とも知らずにいる単細胞の私だったのです)!!

NYマンハッタン島。わたしには沢山の友人がいました。タカコと知り合うきっかけになったオッカさん(多田千恵子)、ダンサーのサチコ、ジャズピアニストのコスモ、グラフィックデザイナーのヒロコ、そして画学生の三浦さん、マコさん、ミディー、また私の絵のスポンサーになってくれた総合輸入商社、島崎コーポレーションの島崎社長、芝居屋の小野、誰もが自我を謳歌しながら狂気に彩られたこの街で、それに気づく事もなく全エネルギーを放射しているようでした。この街はアメリカであってアメリカでない、この街はマンハッタンという特別区なのです。

日々のスタジオ通い、日々のバイト、タカコ恋しさの余りにたびたびの国際ラブコール。たちまちの内に1年と数ヶ月が過ぎました。そして待ちに待ったタカコから帰ってくると連絡が入りました。この時の私の喜びようはいかばかりであったことでしょう。どうして彼女を再び8番街のアパートに迎えようかと思案した挙句に純白の花で部屋を埋めつくして迎える事にしました.たくさんのじゅくらんした花たちの萌芽にむれる部屋に入ったタカコはその白い顔を青白く曇らせて(彼女は星の王子様に日本で出会えなかったのです)、、、この私の愛の部屋を見わたしました!!

そんな彼女を私は日本の実務に疲れて帰ってきたのだろうと思いました。ですから、そのうなじを私の涙でぬらしながら抱きしめました!!

私にとっては、またバランスのとれた満たされた時間が返ってきたのですが、そうして半年が過ぎた頃に彼女に変化が現れてきました、、、。

熟年を迎え入れた一見してはつつましやかな色香がこぼれる笑みに含まれて匂ってくるようでした。ドアーを開ける気配、ソファーに身を投げる動作、どれをとっても春の訪れを感じているように軽やかで機敏なのです。今まで、どちらかと言うとゆっくりした怠慢な動きで私と暮らしてきた彼女とはちがうのです。洋服上下の組み合わせにしても、取りあえず色彩を勉強している私にバランスの良さ悪さを聞くようになりました。タカコはようやくにして吹っ切れたのでした。タカコの全ては私に向かってその全てを開き始めたのです。私は唯うれしくなり、そんな姫、タカコを前にもまして慈しみました。同時進行している愚か者が人間志願のための絵描道も細にいり密になり完成度を高めていきました。私三十路を迎えて青春真っ只中を順風満帆だったニューヨークの画学生時代です。

突然生活に乱れが生じました。始めてタカコが朝帰りをしたのです!!明け方まんじりともできずにいた私はNYポリスへ電話をかけました。このような服装の日本人女性が車の事故とか何か事件に巻き込まれてはいませんかと?答えはノーでした。太陽が上がって8番街がにぎやかになった頃になってようやくタカコは帰宅しました。

「ゴメン、トミ。友達と朝まで飲んでしまったら、とっても朝のセントラルパークが綺麗だったから今まで散歩してきちゃったわ」

これが彼女の言い分でした!!朝帰りでないにしても、とにかく夜更けての帰宅がこれからも時々起こるようになったのです。この頃の彼女の行動を私の友人たちは知っていたようでした。それは姫タカコがようやくにして探し続けてきた星の王子様に出会ったということでした。私だけがまったくその事を知らなかったのです。なぜ友人たちはその事を知っているのに私に伝えてはくれなかったのかといいますと、この4年間の私の一途なタカコへの愛し方を見ている彼らは、このことをトミが知ったなら単細胞そのもののトミの事だからこれはきっと何らかの事件になってしまう。だから、知らせないほうがいい。それにトミは来年にはパリへと一年間の留学に出るという、その事を友人たちもタカコも星の王子様も待っていたのでした!!件の星の王子様とは日本三大漁業会社のひとつで、それを牛耳る三大財閥のひとつ、そこの三男坊だということでした。タカコがもしこの彼と結婚できたとしたなら、その嫁ぐ先は、、東京ひばり御殿のその上にある御殿とのことです。一世一代タカコが変身したわけがここにあったのです。

疑う考えを持つ事自体がタカコへの冒涜になるとして、気配で感じる疑惑に目をつぶることしかできない偽善的小心者の私でした。ことの真意は何も知らないのですが感じるのでした、タカコの内に何かとんでもない変化が起こっている、その事だけは、この身切り刻まれるほどの重圧を持って私に襲い掛かっていたのです。そんな中でアートリーグ5年の結末を迎えようとマクドウエルスカラシップ(パリ1年留学)に展示するべく創作に励んでいました。しかし、どんなに無心になったつもりでも、どんなに没頭したつもりでも、この出来上がった作品には気迫も完成度も失せていたものと思います。毎年たったの2名だけが選ばれる難関でした。私は選考にもれてしまいました!!

この結果を予想しなかったわけではありません。だから、落ちたときのためにと私はバイトをしながら留学費を蓄えてはきたのですが、とても1年分は貯められずにようやく半年分ぐらいが貯まっていました。しかし、半年ではヨーロッパの空気を筆に吸わせるのには足りません。ましてや、わけも分からないままにタカコから発散される不穏な空気を狂うほどに吸い込まされている状態の私でした。私はスカラシップに落ちたことをタカコに伝えました。そして、どうにも気分が、パリへと今行く気にはなれないのだがとも、、、、!!

これは彼女にとっては一大事でした。1年以上も前から星の王子様と二人で私のパリ行きを首を長くして待っていたのですから。ここでも彼女は一世一代の演技をせざるをえませんでした。オドロイタ表情も心の乱れも微塵も私には感じさせないままに、さらりとタカコは言いました。

「そう、マクドウエルだめだったの、残念ね。でも4年も前から行きたがっていたパリ留学でしょう。行って1年間思いっきり創作三昧に入りたかったんじゃあないの?」

「そうだけどね、、、なんか気乗りがしなくなってるんだよ。それに留学資金だって半年分ぐらいしかないしね」

そう応えた私の言葉をかみ締めていた彼女は笑みさえ浮かべてまた口を切りました。

「あのねえトミはプロ志願でしょう。一流を目指しているんでしょう。だったらヨーロッパの歴史の重みがある空気をトミの筆に吸わせたいといっていた、、、トミの口癖ね、、それ、アタシも本当にそうだと思うわ。だからね、いいわトミ、、、後の半年分の留学資金ね、、アタシがプレゼントするわよ。そしたら、安心して行けるでしょう。ね、夢は形にしなさいよ」

この言葉を彼女の真心として聞いた私でした。それほどに私の思考経路は単純なのです。シッカリと愛するタカコに言い含められて私は予定どうりにパリ遊学1年を決行する為にNYケネディエアーポートから機上の人になりました!!

 

ベルギー BELGIUM

便はブリュッセル行きでした。なぜならパリ直行便は高かったし、デスカウントチケットを私は求めたからです。それに初めてのヨーロッパ大陸です中古車を手に入れていろいろな国も見てみたかったのです。私32歳のときでした。ブリュッセルのエアーポートでタクシーに乗り込みました、、、ベンツでした、、ぼろでしたが、、ベンツです!!

「ダウンタウンの安宿に行ってくれますか」

これがヨーロッパ大陸に降り立った私の最初の言葉でした。予想どうりの安宿にバックパックを下ろして早速にフロントで新聞を見、中古車を探してみました。そんな私にフロントの青年が声をかけてきました

「中古車を探しているのかい?」

「そうだよ、手ごろな安い奴どこに売ってるか知っているかい?」

この問いに青年は思案顔になりました、そして数分後に勢い良く喋りだしました。

「そういえば俺のおじさんがルノーの1000cc持ってるんだが売りたいって言ってたよ。だけどドアをこすってしまって少し凹んでるとか言ってたなあ」

これは、運命の出会いだと私は直感しました。

「多少凹んでいる、、、問題ないよ。コンデションさえよければね」

翌日閑静な木々に囲まれた住宅街の路上に落ち葉をまとってつくねんとしているアイボリーのルノー10にお目見えしました。ふん、確かにひとつの後部ドアーがへこんではいますが相対的に綺麗な車でした。試乗してみました。さすがに欧州車ですシッカリグリップして確かなコーナーリングでした。このフィーリングはアメ車にはないものです。言い値は400ドル、、、、どう考えたって安いのです。私は即答でこの車を嫁にしました。名義変更と保険加入(全ヨーロッパをカバー)してその翌々日にはアムステルダムに向かって私はハンドルを握っていました。

 

オランダ HOLLAUD

ヨーロッパ、それは、豊饒な大地でした。しかし私はその豊かさを感じる以前に腹の内に収めてあったタカコからの不穏なテレパシーにおびやかされ始めてしまいました。夜もどっぷりと暮れてからようやくアムスの運河のへりに到着しました。初めての街でのミッドナイトでは安宿を探す事も出来ないで私は車の中で夜を明かしました。まんじりとも出来ずに過ごしたような気がします。

つまり、この時NYではタカコと星の王子様が日本で結婚する為の帰国準備におおわらわっだたのです。その現実を露ほども知らない私でしたが、感じるのです。凄い圧迫感を伴ってタカコからの裏切りのテレパシーが、形をみせずに私をただ闇雲にブルーにするのでした。夜が明けてアムスの町外れの安宿に投宿しました。そして私はいたたまれずにタカコ恋しさにNYへと国際電話をかけました。どうにもならない不安が自分を襲っている事、だからタカコに逢いたい、タカコが恋しいと、NYへ帰りたいと女々しく訴えました。そして彼女の答えは、、、

「何言ってるのトミ行ったばかりじゃない、、、これから一年がんばるんでしょう、モウイイカゲンニシテヨッ、、、、!!」

これがタカコが私にくれた最後の言葉でした。打ちのめされて、一体何が起こっているのかと分からないままに安宿に帰りました。 庭の木漏れ日の下に一人日本人のバックパッカーが本を読んでいました。どうにもならないNYからの重圧に押しつぶされそうな私でしたから、何か救われたような気がして、彼のテーブルへと引き寄せられていきました。

「コンチワ、チョットここに座ってもいいですか?」

声をかけてみました。本から目を上げた青年はそっけなく「どうぞ、空いてるんだから」そう応えてくれました。いくつか又言葉を交わしてから、とうとう私は自分の不安の根っこがNYの彼女から来ているのだが、どうにも苦しくて仕方ないのだがと、だいたいのいきさつを彼に話しました。

緑の木漏れ日のした優雅に自分の時間に浸っていた旅人は、突然現れた変なオジンに変な愚痴を聞かされたわけです。その憤りが如実に彼の言葉にあらわれていました。

「冨澤さんでしたっけ、アナタいくつですか?」

私が32歳だと答えると

「アメリカに、もう7年もいて32歳にもなって20歳の撲に愚痴る話の内容ですか、、、しっかりしてくださいよ!!」

、、、、私は二の句がつげなくなりました。まったく持って青年の言うとおりでした。

「ソウダネ、ゴメンヨ」

私は彼の前から離れました。

 

フランス FRANCE

走るしかない走ろう、居ても立ってもいられないのならせめて愛車中古ルノーと二人で走ろう。ほとんど私は泣き出したい状態でした!!北海のへりを,その暗い重い海面を目の端に止めてから南へとハンドルを切りました。ドンキホーテが格闘したかもしれない!!風車を左手に走り、そして今度は川に沿って南下します。ここはジャーマンとの国境でした。しかし私はこの時ドイツに入る心のゆとりもないままに一路何かにせかされるようにしてパリへと向かいました。北の陸路から入るパリは丘の稜線の間から、木々の間から垣間見え始めてそれは優雅な白を匂わせて香っているようでした。あこがれ続けたヨーロッパの都ははじめから裏切らずに私の眼前に開けたのです。ルーブルのビーナスはまるで血脈が走り、やや子を身ごもる事の出来る白い石の物体として私の前にそびえました。これは驚愕でした!!その興奮冷めやらないうちに目に入ってきたのはモナリザです。このどうにでも見る人の感覚に変化して微笑みかけてくるびしょうはまさに絶品と言える作品でした。

モンマルトルには画学生が憩い、カフェーに木立の下にたむろしています。私はとりあえず予定している美学校の近くに安いアパートを借りました。シャワーもなく壁がしみだらけに成った自費留学生にふさわしい部屋です。翌日にはNYの弁護士と約束したように今度アメリカに入国する為のアメリカ永住権のアプライをパリアメリカ大使館にしました。私はこれまで7年間を学生ビザでアメリカにいたのですが、今回の留学でアメリカの学生ビザはなくなってしまったのです。ですから再度アメリカに入って創作するためにはグリーンカード(永住権)が必要になったのです。弁護士が言うには今まで働いてきた日本レストランの証明書があれが料理人として旅先から申請できるからと言う事でした!!ここで問題なのは私は料理人はしたことがなかったのです。バーテンダーばかりしていました。しかし弁護士が言うには料理人のほうが永住権を取りやすいと言う事でそのように書類をそろえてきたのです。

パリでの創作に入る為の準備を私は着々と進めてはいました!!そして数日後のミッドナイト夜更けに寝苦しくてふと目を覚ましました。窓の外の路地から差し込む弱い街路灯の青白い明かりがベッドの前のしみだらけの壁を照らしていました。この圧迫感はどこから来るのか、分かっている事でした。NYに置いてきた最愛の人タカコによるものです。一体今頃どうしているのか彼女はと思いを馳せながらぼやけた眼を開けるともなく開いていたら、目の前の壁のしみがぴくりと動きました?あれ、どうしたのかな目の錯覚かなと瞳を凝らしてみたら、、、いや、やはり動いているのです。そしてそれは色を持ち形になって動画になりました!!なんとこの一年余りのタカコの行状の全てがドラマになってこの壁に映し出されたのです。信じられないことでした。タカコが理想のダンナ様にようやくにしてめぐり合った事、そして私に隠れて逢瀬を繰り返し、二人はともに生きると約束を交わしたこと、、、!!この画像は、多分私の深層心理下に蓄積されてきた意識されないタカコからのテレパシーがとうとう臨界点に達して単細胞の私にはっきりと現実を見させる為に結実した結果かと思われます。恋することに恋していた私にとってはこれはひとつの極限状態でした。こんなことがあるはずがないとか疑う以前に目にしてしまったタカコの裏切りでした。

夜が明けて電話局へと飛んで行き国際電話をNYへとかけました。その電話口へとタカコの友人の女性が出ました?その女性が言うにはタカコは日本へと急用が出来たから帰ったと、だから私がパリから帰ってくるまで1年このアパートに居てくれと頼まれたのだと!!昨夜の壁に映し出されたドラマが事実だったのです。だとしたら私とタカコの精神的保護者だったオッカさんはことの全てを知っているはずだからと彼女にも電話をしました。オッカさんのいうことも全てが壁のドラマのとおりでした。私はこの時ほとんど絶叫していました

「どうしてえええーッ」

どうにもならない現実が私を飲み込みました。そして猜疑と欺瞞と報復と血塗られたタカコの白い肌が間断なくまぶたをよぎります、、、オッカさんが私に負けずに電話口に叫んでいました。

「トミーッ トミーッ、、ダメヨ、シッカリするのよ。あの子はそうゆう女だったんだとあきらめるのよッ、、、、いいね、分かったねトミーッ、、、落ち着くのよう、、、!!」

放心状態の真っ只中へと、地獄の業火でさえ及ばないような奈落へと私は落ちていきました!!

つまり彼女と彼は私がNYを離れてすぐに日本へと帰って結婚する為に荷つくりをして。すでにNYを後にしていたのです。ただタカコと星の王子様はNYの私の友人、そしてカリフォルニアにいる友人まで訪ねては事の全てを話し、この人と結婚しますと礼を尽くしていったようでした。しかし私の道義によれば、本当に結婚したい人と出会ってしまったのなら私との一切を清算すべきだったのです。たとえ私が落ち込もうと時間をかけて私を納得させて別れてからタカコは行動をすべきだったのです。1年余りも私に隠れて逢瀬を繰り返し、ましてや私の旅立ちを待っての駆け落ちみたいな帰国など、とても私は納得できるものではありませんでした。よって、どこにも持って行きようのない憤りにわが身を震わせるだけの私でした。この状態ではとても創作活動には入れない、どうしようか、日本に飛んで帰ってタカコにあって話を聞いてみようか、そんなことしたところで壊れてしまったものはもう元には戻らないだろう。それにこの状態でタカコを目の前にしたら三面記事騒動にもなりかねないだろう!!これは自分で始末するしかない問題でした。パリの安宿にこのまま居てクリアーできるとは思えませんでした。考えあぐねて行き着いたところは生き物がいない死をイメイジさせる砂漠でした。アフリカのサハラ砂漠、このパリからはスペインをえてモロッコにフェリーで渡ったらいいかもしれない。おんぼろルノーで独りサハラを走ってみようか、死のイメイジの世界を走り抜ける事によって、この地獄から抜け出せるかもしれない。そしたら又パリに帰ってきて創作に入ろうか、とても、このままでは何も手にはつかないのだから!!

(しかし、この時の私は、この出発がまさか地球一周になろうとは思ってもいませんでした、ましてやインドに惚れてしまうなど、夢の果ての物語だったのです。それでは、どうしてインドなのかその道のりをたどってみましょう)

とにかく走ろう、走っているときだけはこの地獄から開放されるだろうから。私はとりあえず南へと、地中海に向かってハンドルを握りました。予定では2日は野宿、3日目には安宿を取ってシャワーをあびる、このパターンで走ったら安く上がるだろう。南フランス、恵まれた豊かな大地に息吹く緑たちは私の心を癒してはくれました。草地に寝袋をひいての野宿、見上げる夜空には満開の星空です、、、嗚呼、、目頭から涙が滲みました。地中海は柔らかいイメイジで私を迎えてくれ蒸れる緑とあいまってハンドルも軽くなります。西に向かってピレネー山脈を攻略します。この頂にはスペインとの国境があります。ここで私ははじめて異質なものを目にする事になりました。ボーダーの警備員が自動小銃を肩から下げて二人が私を迎えてくれました。いよいよ異国らしいところまでやってきたのかなという感じでした。このピレネー山脈を境にして空気の質が変わった感じでラウンドスケープも変わってきました。国境とは自然発生的に生まれたものらしいと肌で感じる山越えでした。

 

スペイン SPAIN

スペインは赤い大地が波打っていました。バルセロナの奔放な海岸、ガウディーの傑作、そして北上してマドリード。スパニッシュ気質と言うか雰囲気が濃い国でした。この大都市から又南下して地中海へと向かいました。この移動中に出会った著名な美術館はすべて見て回りました。途中目を奪われるほどのアルハンブラ宮殿に遊びながらピカソの故郷を、その土と緑を充分に感じ、そして、緑が切れた眼下は、藍の地中海でした。とうとうヨーロッパの外れまでやってきました。フェリーの腹に車を収めて大西洋と地中海の入り口の狭いジブラルタル海峡を渡りました。これからは国ごとに車の保険に入らなくてはいけません。短期のテンプラリーインシュランスです。

 

モロッコ MOROCCO

そこはいきなりアフリカでした。モロッコの港に降り立って車をそろそろと人ごみの中を転がしてみたら、やたらに現地人の子供が日本語で話しかけてくるのです。「これ安いよー安いよー、買わない!!」おどろきながら、わたしはニコニコして手を振りノーサンキュー、ありがとね、さよなら。一路南下してカサブランカへとハンドルを握りなおしました。私が始めて足を踏み入れたイスラム圏です。異質です。誰の視線を持ってしても敵意しか感じられない雰囲気でした。

原野に近い荒くれた山道を行くと村があります。腹も減ったし飯にするかなと、、、食堂っぽいのを見つけるとたいていは5〜6人の褐色の原住民が地べたにごろごろと座って刺すような視線を私に向けて拒絶しているように感じられるのです。しかし、そうも言ってられません背に腹は変えられないのですから。意を決して入ります。英語が通じないからそのテーブルで食べてる人のを指差して、これをくださいとやります!!出てきました、何かすごいルックスだけど腹が減ってるからうまい。何とか食べ終えて意地でも胸を張って外にでました。相変わらずに刺すような視線の洪水です。なんかとんでもないところへと来てしまったみたいだと正直背中に小震いが走りました。しかし、そうも言っていられません、気を持ち直して無理にも意気揚々とまた南下です。

カサブランカ、白い家という意味は余り感じられない大陸の果てと言うイメイジの街でした。映画カサブランカを思い起こしてもどうも現実のこの街とは違う感じなのです。作られたイメイジが世界に先行してしまっている活気が乏しいカサブランカです。ここからさらに南下してマラケシへと下りました。今日は宿を取って久しぶりに湯船にでもつかろうかと市場の近くに宿を取って車からザックを出していたら子供が近づいてきます。なんか用かい、と、声をかけてみました。そしたらこのあたりは物騒だから朝まで俺がこの車の番をしててやるよと言います!!私は別に取られるものもないからいいよと断ると、そうじゃあないよ車ごとなくなるんだと脅します。それは困るけど、だからって別に朝まで番しててくれなくったっていいよと断りました。ところが朝になったらその子供がまた来ました。俺が番しててやったから車無事だったろうと言います。別に頼んでもいないだろうと腹も立ちましたが、まあいいかとチップをあげました。そしたら、今日はどこに行くのかといいますからメジナだと応えたら、じゃあ連れてってやるときます。いいよ別に独りで地図見ていけるからと私が歩き出すと、シッカリとついてきます。マア、好きにしろよとめんどくさい奴だなとか思いながら、のんびり歩いていたらじきに市場に到着です。この右手側がメジナ(敵の浸入を防ぐ為の迷路状の旧市街)です。

「この中ばっかりは知らない奴には無理だぜ、入ったらきっと出られなくなるよ。だからさ俺が案内してやるよ」 

子供はしつこく迫ってきます。そんな気がしないでもないメジナの入り口でしたから、これは、頼む事にしたのです。さすがに見事に入り組んでいて何処をどう曲がってきたのかまったく見当がつかなくなります。ものめづらしげに一時間も歩いたから、ボウヅもういいよそろそろ帰ろうと伝えました。しかしそれからまた一時間も迷路の中を歩かされてしまいました。疲れてしまった私はここまで来てようやくにボウヅの魂胆が分かってきました。私を出れない帰れない恐怖に落ち込ませてからしっかりティップを要求したいのでしょう。もしくは、そろそろ仲間が来るか!!

わたしは今までに歩いた曲がり角の雰囲気を思い起こしてみました。そしたら結構同じところを何度も曲がっているのです。これで、太陽がこの位置だったら出口はこっちだ。だいたいの見当がつきました。

「オイ、クソボウヅ、もういいぞ、いつまでもぐるぐる回りやがっていい加減にしろ、俺は一人で帰るからな、アバヨ」

さっさと奴を振り払って独りで歩き出しました、背中に奴の捨て台詞が聞こえます。「帰れるもんかーこのばかやろう」 私は感覚を研ぎ澄ましました、ここの住人の雰囲気は決していいとはいえない、奴らが4〜5人結託したら面倒な事になるだろう。よし、この角だ、これを行ったら、、次はこの角だ、、見事でした、、われながら、わずかに10分足らずでメジナを出ることが出来ました。

このマラケシからは東へと走っていよいよアトラス山脈を越える。そこには今回の目的地サハラが横たわっているはずだった。町を出るとすぐに広大な草原地帯が広がっていました。所々の湿地帯には白いしなやかな首の長いトリが遊んでいました。右手はるかににはたくさんの牛の群れが見えます。正面草原の果てには赤い山脈アトラスがその雄姿を見せ始めました。私の気が高揚して来ました、と、走っている黒いアスファルトの表面を見ると、何かおかしいのです、うごめいて見えるのです。よく目を凝らしてみたらイナゴの大群が気持ちよさそうにお昼寝していました。それも見える限り数百メートルもです!! だったらと後ろを振り返ったらくっきりと黒い私の車のタイヤの後が踏み潰されたイナゴたちで埋まっているのです。どうして彼らは飛び立たないのだろうか、狂気の車が仲間を殺して走ってきたというのにです。私は車を止めて考え込んでしまいました。殺生する気はないのですから。それにしても凄い景観です。お昼寝から覚めて飛び立ってくれればいいのにとしばらく待ってみたけれどまるで移動する気配は感じられませんでした。私は今日眼前にそびえているアトラス山脈を越えなくてはいけないから、いつまでも待っているわけにはいきませんでした。ゴメンヨ、イナゴさん、俺行かなくちゃいけないんだ。意を決して車を走らせました。それでもまったくイナゴたちは飛び立とうとはしません。凄い集団睡眠です。私は怖ささえおぼえながら2〜3`を走り抜けました。ようやくに通常のアスファルトの表面に戻って振り返ってみます。私がひき殺したイナゴたちが轍の跡に炎天下にも関わらずに寒々とどす黒く見えました。

巨大なアトラスの懐になるこの地は広大な草原です。先に右手はるかに視認した牛の群れが移動してきました。どうも私の行く手を右側から左手へと土手を上がって横切り始めたようです。7〜80頭余りの大群です、これはしばらく待たなくてはいけないかと思いながら見ていたら。路上で1頭が立ち止まり、、、こちらを見ました、目線が会いました。突然にその1頭が私と車をめがけて駆け出したのです。ユックリと土手を上がり横切っていた他の牛たちも、この路上へと駆けもどって、疾駆し始めた1頭について駆け出しました。この瞬間の出来事は、さきの目線の眼ずけによって急激にこの牛が私に対して敵意を持ったとしか考えられません。でも、どうして、、、私は何も彼らにしていないのに?そう思い巡らせたら、思い当たる事は、ついさきにたくさんのイナゴの命を奪った事でした!!もしかしたらこの殺生が生み出した因果かもしれません。信じられません、全頭が怒涛となって、路上にぽつねんと停車した私を目指して駆けてくるのです。この群れのこの角がこのキャシャな車ルノー10に激突したらひとたまりもないでしょう、、、。さほど広くない道路上いっぱいになって、もうそこまで迫って来ました。嗚呼、、私は観念するしかありませんでした。何も出来ずにシートに座りシッカリ汗の手でハンドルを握り締めるだけでした。牛たちの肩の筋肉が波打ち盛り上がり低くした頭の角が踊りながら無数に、、激突、、そう思ったとき、怒涛の牛の群れは私の目の前でカッキリ二手に分かれました!!車の両サイドぎりぎりに後方へと駆け抜けていくのでした!?、、、こんなことが有るのかと、私はこの現実をただ甘受していました。

青い天空に立ちはだかるアトラスの峰峰が折り重なって見えます。いよいよ山道にさしかかり舗装道路はなくなりました。これからは私の腕の見せ所です。山肌を回り込みながら高度を徐々に稼いで行きます。裾野にはまだ多かった緑が少なくなり赤い岩肌が目立つようになりました。恐るべきフランスルノーと感心するしかない走りを愛車中古のルノー10は私に楽しませてくれています。さすがはやはり欧州車と認めざるを得ない現実でした。オイル交換やフィルター交換は自分でやっていました。他国で事故はしたくないので安全運転に徹していました。

急激な山肌をうねりながら登りつめていきます。左下には深い谷底が広がっていました。その向こうに立ちはだかるまばらな緑を添えた岩肌の中腹に煙が昇っているのが見えました!!どうしてこんなところにと目を凝らしてみたら、、ナンとそこには二つの洞窟の入り口がぽっかりと黒く開いています。その前にはどうも4〜5人の人間がいて、、その人たちが炊事をしているようでした?私は愛用のニコンに200ミリの望遠をはめて覗いてみました。驚きました、ここで彼らは生活をしているようなのです。この時代にいまだに竪穴住居に暮らしている人たちがいるのかと、立て続けにシャッターを切っていました。これはいい写真が出来たろう、いつかNYに帰ったら友人たちに見せてやろう。これは迫力があるだろう。

勝手にそんなことを考えながら、その洞窟をはるかな谷の向こうに見据えていたら、そこにいた何人かがいきなり谷底に向かってまるで脱兎のごとくでした。駆け下り始めたのです。同時に他の洞穴からも何人かが飛び出してきて、同じように急激な斜面を土ほこり舞わせながら駆け下り始めました。私は彼らは谷底へと水でも汲みに行ったのか、それとも遊びにでも行ったのかなと思ってボンヤリと眺めていました。そしたら違うようです。谷底に駆け下りた彼らは、今度はこちらの斜面をわたしのほうに向かって駆け上ってくるのです。ナンだろう、一体俺に用事でもあるのかな、、別に知り合いでもないのに、、!!きょとんとしてカメラを手にぶら下げたままの私の前に5〜6人の子供たちがさすがに肩で息をしながら勢ぞろいしました。私が片手を挙げながら「ハイ」と挨拶したら。年長者らしい16〜7歳の少年が、にこりともしないで怖い顔つきをして口を開きました。「オイ。お前、俺たちの家の写真を撮ったろう」と、どうもそう言ってるようでした。「ああ、、、撮ったよ、だからどうしたの?」私には彼が何を言いたいのか分かりませんでした。そしたら、、「じゃあ、金くれ」

これが落ちでした。私は、思いっきりしらけました。私はこれまで日本とアメリカとヨーロッパしか知らないのです。ですからこれ等の国の事情がどうなのかまったくの無知なのでした!!つまり他国者がこの地を旅させてもらっていると言う感謝の気持ちがこの時の私にはまだなかったのです。

「金か?、、金はやらん、、ノーだ」                                                        

 せっかくいい気持ちで撮影を楽しんでいたのに、このガキどもは何をぬかすのか、、というのが私の気持ちだったのです。ですから言葉でも態度でもはっきりと拒絶をしたのです。そんな私の態度をまのあたりにしたら、敵はしたたかでした。怖い顔して私を威嚇していた、こやつが、、いきなり、にんまり、、とし始めたのです。そして、                                                     

 「あのな、、俺たちの写真も撮っていいからさあ、、だからよ、少しでいいから、な、お金くれない!!」                       

 単細胞の私はこのように下出に出られると非常に弱いのです。それにみんなで肩を組んでニカーッと笑って取ったポーズが様になっていました。結果お互いに納得するやりとりをしてこの自然児たちとは手を振って別れました。                                                              

 

アルジェリア サハラ ALGERIA SAHARA

ハイアトラスの頂は青いすける空を押しのけて赤い塊の存在を誇張していました。そしてこの炎天下にもかかわらづにそのところどころには白い雪帽子が太陽に照りかえっているのです。見上げた頭を進行方向の東に向けると、はるかな下界には広大なサハラが横たわっていました!!薄肌色に熱せられた砂漠、私が始めて目にした、命をはぐくむ事を拒絶した大地です。私は小さな鉄兜のような車の中にいて萎縮するような自分を感じていました。それほどのコントラストを持ったラウンドスケープだったのです。腹に気合を入れてハンドルを握りなおし、イザ、サハラよおいらを無事に走らせてくれるかい、そう念仏のように唱えながら下りのカーブを軽くスライドさせながら死の世界を目指しました。徐々に目線に近づいてくるこの広大な砂漠が遠い古には大密林に覆われていたなどとても想像できませんでした。つまり、そんな計り知れない時間の中のただの一瞬を今私は眺めているだけなのだと、余りのはかなさのようなうなだれた気分にもなるのでした。

アトラス山脈を後にして、私はサハラのふところへと飛び込みました。走るだけ、ただ前に向かって走るだけでした。かろうじて道と分かるような一本筋が砂丘の間を縫って続いています。もし対向車が来たならどちらかが路肩に下りなければすれちがえません。しかしそんな心配は無用でした。私以外に動いているのは熱風だけでした。いちど網膜に焼き付けたサハラは、それだけで形骸になってしまい、無味乾燥な命が鼓動しないデッドゾーンです。

命の営みのドラマがいきなり幕を下ろしてしまったみたいでした。乾ききってしまっているこの世界にはいって私は自分の感性までもが枯渇するのではと怖くなりました。それでも自分は今ここにいると問いかけてみて、どうしてここに!!そのはじまりは、、、そう、タカコ!!そこえと行き着くしかないのです。ここにいたっても断ち切れない姫への思慕が頭をもたげたら、嗚呼、ここもまた不毛な乾いた砂漠の思考しかないのに気づきました。そして嫉妬、憎悪、といまわしい怨念の地獄へと私は又落ちていきました、、、私は、それを断ちきれたらと、ここに来たのではなかったのだろうか。もしかしたら、失恋の地獄にいる私が一番選んではいけないところへと来てしまったのかも知れない。そんなことまでが頭に上り始めました。不毛の大地と不毛の思考の救われないコンビネーションでした。それでも気を取り直して現実の景観に意識を戻します。

360度見わたす限りの砂岩と砂丘の連鎖です。この現実は私だけがのけ者にされて浮き上がってしまっているような、空と熱射と乾いた大地。

私の憤りがその出口を見出せないのは、余りにも異なるタカコと私のこの現実に置かれた環境のコントラストにもよるのかもしれません。なぜなら彼女は今星の王子様の目黒の御殿で私になじんだその白い肌を高潮させている事でしょう。かく言うわたしは、この先に本当にオアシスがあるのだろうかという、今夜のねぐらさえ定かでない一人旅なのです。それも多分誰もが経験してないだろう、重装備の4駆でもない、ただのセダンで、それもただの一人でこのサハラを走っているのです。良識ある世間の人たちには、私のこの行動はまったく解せない事でしょう。しかし、私はいつもこうするしかなく生きてきたのです。ここには私が生涯を貫こうとしている、己の感性に忠実でありたい、それが私の男としての純情なのだからと信じて疑わない自分がいるからです。そしてこの頑な自我が良かれ悪しかれ私をして時に物事に対して常人にはありえない激しさを生むのです。これは私にとっての十字架であったり、喜悦であったり、と変わって表現されてきました。たかが女に振られたぐらいで、予定していた留学の創作が手につかないなんて30を迎えた男性のすることですかと、世間からはしかられてしまいますね。単細胞で不器用な私はこのような生き方しかできないようでした。

助手席にひろげたミシェランのマップによれば、あと1時間ぐらいで日が沈む前にはオアシスにたどり着くはずでした。砂丘のうねりが高くなり始めて、その波間から波間へとうねる道をたどっていると、その陰に隠れて見えない地平が私を不安にさせていました。本当にこの乾いた現実の中に一体緑の木々などがあるものだろうか。写真では見た事のあるオアシスなるものが、まだ見た事のない私にとっては夢幻かとも思えてしまうのでした。そうしてたどった果てに連なる砂丘の向こうにおおきな谷間が開けてきました、、、そこには、なんと緑の塊が視認できたのです!!有ったのです、出会ったのです、本当の砂漠の中のオアシスへと。感動でした。

盆地へと下って目線に緑のオアシスを見てもまだ信じられないような面持ちの私でした。しかし、このオアシスは写真で見たのとはちがっていました。なぜならシッカリとオアシス全体が白い石の塀で囲われていました。地図によればこの一本道はこのオアシスを貫通してから向こうへと抜けているのですから、誰もがここを通り抜けなければならないようでした。300メートル余りに展開する緑たちを囲っている塀は高さ約3メートルぐらいでした。そこにようやく中へと入る門が見えてきました。ここにもいました肩から自動小銃を下げた二人のソルジャーが!?それにもまして驚いたのは、いきなり二人がシッカリと銃口を私に向けて迎えてくれた事です!!私は単なる旅人なのだから、そんなに構える事もないのにとか思いながら車を止めました。

一人が銃を構えたまま用心深く私に近づいてきました。あとの一人は離れたまま銃を構えて怖い形相で私を睨んでいます。つまりこんなところへとヨーロッパライセンスのセダンがやってくるわけもないことですから彼らはいきなりこれは不審車だと判断したのでしょう。ましてやどうも乗っているのは一人のようだと!!質問が来ました。                                                    

「オイ、オマエ何処から来たんだ?」                                                              

高飛車な言葉でした。この質問には困ってしまうのです、なぜなら私のこの旅はほとんど無目的な移動にしか過ぎないのですから!!何処からと言われてもパリからとかアメリカからとか、それともやはり7年前に出た日本からかとか、もしくはやっぱり今回はアメリカから出発してアメリカへと又帰る旅なのだから、やっぱりアメリカからが妥当なのかもしれない。とか頭がこんがらかってしまいます。ですから、      

「西から、、来たんだけど、、」                                                                  

と応えてみました。しかしこの答えは彼には気に入らなかったようです。声を荒げてきました。                           

「何処の国から来たのかと聞いてるんだよ、、、!!                                                     

「NYだ、アメリカから来た。おれはNYでの学生だが、本国はジャパンだ」                                       

「何ーお前が日本人だと、チン(中国人)じゃないのか?」                                                  

マア、すでに日に焼けてえらが張って真っ黒な私を日本人だと見てくれる人は何処にもいませんでした。ましてや野宿が多いこの旅です私は薄汚れていましたから。                                                                     

「それで、何処へ行こうとしているんだ、何処へ向かっているんだよ?」                                          

 「ここからは、、とりあえづ、北に向かう」 彼は又機嫌を損ねたようです。                                        

「目的地は何処で何のためにいくのかと聞いているんだ」                                                

「別に決めたルートはないが、最終目的地はパリのつもりの旅だよ」                                           

ここで私のこの旅の本当の目的をこのソルジャーに話したところで納得するわけもないでしょう。女に振られたくらいで一人でサハラを走るか、

まったく私でさえそう思うのですから!!彼はいっそうおかしな奴だと私を決め付けて車の中をね目回します。                  

 「オマエ、一人なのか?」                                                                  

「ああ、一人だ」 ここに至っては二人とも目を丸くしてしまいました。                                           

「あのね、ソルジャー。今夜一晩このオアシスの中で野宿をしたいんだけど、、、明日の朝には出て行くからさ?」                

彼らは互いの顔を見合わせて思案してしまいました。私には彼らが何をためらっているのか皆目分かりませんでした。旅人がはるばるとやってきた、だから、よく来たなユックリしていけよと、どうして彼らは言えないのだろう。イスラム圏の中の砂漠のオアシス、、、イスラムとはその意味するところは平和だと言う、、しかし、どうも勝手が違うようだと私のほうこそ考えてしまいました。やっと彼らの意見がまとまったようでした 。                                                                                

「あのな、旅人がこのオアシスの中で勝手に野宿は出来ない。宿があるからそこへ宿泊してくれ」                          

「OK、ノートラブルだよ、だったらその宿を取るからさ、そろそろオアシスの中へと入れてくれないかなあ」                     

いつまでも私に対する不振が消えないような二人のソルジャーでしたが、ようやく、仕方もないかというアキラメの表情で門を開いてくれました。すでにオアシスの中には薄い闇が下り始めていました。

以外にモダンな感じの宿にて寝苦しい夜を過ごした私でした。このような感じで私はサハラを走りぬけていきました。

イスラムの国々、私が始めて足を踏み入れた異教の地です。かつては現在の西欧に勝るほどの巨大国家を築き上げたと言われているイスラムの国々ですが、長い歴史の内にあって今は足踏みしているような状態にみえます。そして米欧の傲慢な圧力に耐えているようにも。英国そして米国がパレスチナに対して取っている行動が彼らにはとても許容できるものではないようです。ですから、そのアメリカから来たと私が言うだけでも彼らにとっては不愉快の種になるのかもしれません。私がイスラムに対してなんの偏見もないよと言ったところで通じるものでもないようです。恐いのは、イスラム教の教えは、イスラム以外の宗教は邪教だと決め付けている事です。先進諸国が取り合えづ掲げている宗教の自由などはありえないことのようです。

私がサハラへ単独ノーマルのセダンで乗り入れたわずかに2年前に、旅人(かみおんゆ たかし)がこのサハラを単独行脚して若い命を絶っていました。彼が残した手記の部分が下記の文章です!!

1952(昭和27).11.29〜1975(昭和50).5.29上温湯隆(かみおんゆ たかし)

『自然それは征服されるためにある』と、考えていたヨーロッパ人。その一人のイギリス人が、俺と同様にラクダで、お前の鼻をへし折ろうとした。しかし貴様は彼に死ぬ寸前までの苦しみを与え、イギリスへ追い返した。そして、二人目の挑戦者、この俺を3000キロでノックダウンさせた。

 だが、サハラよ! 俺は不死鳥のように、お前に何度でも、命ある限り挑む。正直に、お前に語ろう。恐怖に覆われた闇、お前に抱かれていた夜に、何度“死”という言葉が脳裏で舞ったか。果てしなき砂の中、道もなく、人も住まぬ所で、我が友とするラクダが、別の世界へ去ったら・・・・考えるだけで恐ろしい。しかし、それが貴様の魅力だ!だからこそ俺は貴様の虜になった、敵愾心に燃えた心に、ふと恐怖の黒い雲が現れても、俺はそれを乗り越えて、この足は地平線の彼方へ一歩ずつ近づく。

『冒険とは、可能性への信仰である。』

こうつぶやき、俺は、汝を征服する。必ず貴様を征服する!それが貴様に対する、俺の全存在を賭けた愛と友情だ きらめく星が流れ、優しき風が流れ、素晴らしい青春も流れ去る、流れ去る者は美しい、だから、俺も流れよう。やせたラクダが、ラゴスに来たのは昨年の9月、7ヶ月余りの滞在。多くの面で皆さまにお世話になりました。再びサハラに戻ります。定評ある(?)この時事速報の紙面を借り、お礼申し上げます。

いつの日か、風に乗って、この旅行の結果が伝わることを祈って。ラクダこと、上温湯隆 

この若き旅人、カミオンユタカシのことを考えてみるに、私にはどうしても釈然としないものがあります。この不毛の大地へ、恵みの太陽が簡単に人を殺してしまう恐怖の炎天下をらくだ一頭と共に歩いて横断する!!これは自殺行為以外のなにものでも有りません。そしてその事を上記の文章がはっきりと告知しています。

「流れさるものは美しい、だから俺も流れよう」

彼は死を賭けてもこの冒険を成功させたい、なんとしても生きて彼岸にわたるのだと言う前向きな精神構造がすでに欠陥しています。限界にまで望み切り己を美化させ駆使させ、、、そして果てようと言うのが彼の願いだったのでしょう。つまり、カミオンユタカシはサハラに死にに行ったのでしょう。そしてそれは、当然のこととしてそのように達せられたのです。私には受け入れられない現実です!!

サハラに入ってから一週間後に私は北のアトラスを越えてアルジェーの町に向かいました。これでサハラとはお別れでした。カミュの異邦人などを偲びながらアルジェーのセントラルポストオフイスでアメリカや日本の友人からの手紙を受け取りました。旅の途中で受け取る友人からの手紙には言葉に尽くせない安堵がえられます。感謝でした。

さてサハラの砂と土にまみれた我が愛車はほとんど地のアイボリーが消えて赤茶けています。凄い形相です。いかにも砂漠を走りぬいてきたなあと言う感じで私はご満悦でした。ヨーロッパへと帰るまでこのほこりは大事に車につけたままにしておこうと思いました。それにしてもこの中古のルノー10はよく走ってくれました。ここまでまったくの故障なしなのですから驚くべき事です。本当に有難うねとか思いながらトランクをあけて整理していたらトランク床下に収まっているスペアータイヤがぼこぼこに空気が抜けていました!!私は青くなりました、、よくも砂漠の移動中にパンクをしなかったものだと。これは幸運でした!!

ではパリ出発のときの精神安定剤にと決めた目的地サハラは走ってしまったわけですから、だったら、私の精神状態は恋の病からは開放されたのかと自分に問いかけてみました!?、、、、これが驚くほどにまったく、、開放されてはいないのでした。まだ走りが足りないのだろうか?まだ時間が必要なのだろうか?とか考えながら地図を見ます。これから地中海沿いに東へと走ってチェニジアからエジプトへと入ってファラオのピラミッドに挨拶してから車をフェリーに載せてギリシャへと渡るか。そこからパリへと帰るならその頃には心は癒えているだろう、きっと創作に入ることが出来るだろう。そのように結論を出してこれからは東へと向かってひた走る事にしました。

小一時間もかけてそんなことを飯を食いながら考えて路上に止めた車にもどってみて驚きました!!なんとサハラの銅賞の赤茶けがまったく消えうせてぴかぴかに車が成っているのです?傍らに子供がバケツと雑巾を持ってニコニコとしゃがんでいます。

「おじさん、車きれいにしといたよ。だからお小遣いくれる」

何と言うことをこやつはしてくれたのか、オイラのサハラの銅賞をかき消してしまっている、、、、!!

「バカヤロー誰がきれいにしろと頼んだかあー、、、あのホコリは俺がヨーロッパまで持って行くはずのものだったんだぞう」

子供は私の剣幕に驚いて退きましたが、どうにもまったくこやつにうらみはないものの情けなくなってしまいました。この子供に悪気はまったくないのだろう、ただ、きれいにしてやったなら小遣いにありつける、そのために水をはこんで汗を流したのだろう。私は苦汁の汗を舐めながらこの子供にいくばくかの小遣いを与えました。

アフリカの最北端地中海沿岸アルジェーとチェニジアの間を結ぶ国道はまるで田舎のうっそうとした木々の間を抜ける村道というか小道に等しいものでした。私は何度も地図を見直してはルートを間違っているのではと確かめてみたのですが、間違ってはいないのです。信じがたいこのうねった村道が両国を結ぶ国道なのでした。

そうして辿ったチェニジアの国境の検問所でオフィサーが私のパスポートを見ながら難しい顔をしました。アメリカからヨーロッパの国々のスタンプが所狭しと押されているからです。一体お前はなにものだというから、美学生だと応えます。モロッコからサハラの砂漠へと一人で何しに行ったんだと言いますから、、応えに困って、、なんとなく、走りたかったからとか私が答えるものだからまた彼は不愉快になったみたいです。私はだいたいは人に対して穏やかなのですが、相手が傲慢だったり、人を見下したりすると、たかが同じ人間なのに何を偉そうにしているんだと売り言葉に買い言葉が出てしまうのです。未熟者です。その結果彼は私がアメリカ、ヨーロッパ、アフリカと渡り歩くドラッグ(麻薬)密売人だと決め付けてきました。それでなくして私のような若造が世界を車で渡りあるくことなどできるわけがないというのが彼の言い分でした。そして傍らにいた銃で武装したソルジャーにこの車を徹底的に調べ上げろきっとドラッグが隠されているはずだと、シートも外して外に出して調べろという事になりました!!車はオフィスの裏側に移動されました。そこには大きな木のテーブルと工具があり、ソルジャー二人は大奮闘して私の車からあらゆる物を引っ張り出してはテーブルに並べて血眼になってドラッグはどこだと探しています。私は自分の事を底なしの単細胞人間だと思っていますが、こやつらは私の上を行く単細胞だなとか思いながら、ないものを一生懸命に探している人を見る目がまったくない彼らを冷ややかに見つめていました。そうしてとうとう探し切れずにあきらめたソルジャーたちでしたが。

「クソーッ、、絶対あるはずなのに見つからん、、仕方もない。オイ、オマエ、、行っていいぞ、、」

「あのねソルジャー、、行ってもいいって、この外に出したシートとかを車に戻してくださいよ。これではいけないでしょう」

「黙れーッ、、、そんなものお前が元に戻して勝手に行ってしまえー」

これが国の玄関口を警護する人たちの態度であり言葉なのかと私はもう開いた口がふさがりませんでした。この手の輩には何を言っても通じないだろうとあきらめた私でした。せっせとシートを元に戻し,ばらばらにされたザックにも荷物を入れてようやくにボーダーを越えました。

 

チェニジア TUNISIA

そうしてたどったチェニジアを山の上から俯瞰するとそこには断崖に囲まれた美しい緑と町の様子が伺えました。今までたどっと何処の国にもない異質な景観でした!!この景観自体が他国者を寄せ付けないのです。このようなイメイジの町は初めてです。だって、今までのモロッコやサハラは人の目が他国者を拒絶しただけであって大地そのものは関係なかったのですから。街中に屹立する絶壁、それを巡る道路、その頂の高級ホテル。

非常な違和感を覚えながら夕闇が降り始めた町に車を入れて私は宿を探そうと思いました。安宿がありそうな雰囲気の場所へと言ってそこの飯屋のおばさんが外にいたので声をかけてみました。

「おばさん、この近くに安い宿はないですか?」私は英語で問いかけているのですが、いきなり声をかけられて驚いたらしいおばさんは、

「なんだい、、あんたは、、知らないよ。いけ、いけえ、あっちえいけえ」

まったく何を喋っているのか分からないのですが雰囲気から言ってこのようなことを言っていたのだろうと思います。ですが、どうしてここまでいきなりの出会いの人間を拒絶するのか私にはまったく解釈できないのでした。仕方もないから今度はおじさんに尋ねて見ました。しかし、ほとんど同じリアクションなのです。これには参ってしまいました。ここでようやくに気づいたのは、ここはフランスの息がかかった国でした。ですから国民はフランス語を喋るのでしょう。然るに私のは英語と言っても本当のところは米語なのです。多分この世で一番汚い言語かと思われます。ですから常識的に言ってフランス人はアメリカ人が大嫌いですし米語に対しても嫌悪を覚えるようです。このフランスの意気のかかったチェニジアの市民が私の米語なまりの言葉を聞いて拒否反応したものとおもいます。それにしても怖いほどの嫌悪感をあらわにしている彼らは、それほどアメリカが嫌いなのかと考えさせられてしまいました!!

三人目に尋ねた人はそっけないのは同じでしたが、この辺であんたが泊まれるところはあの岸壁の上の高級ホテルしかないだろうということでした。そこなら断られる事はないだろうと!!私にしても野宿が続いていたしこの辺でゆっくりバスタブにつかるのもいいかと自分に言い聞かせて、怖いような岸壁を巡るらせん状の道路を登っていきました。ありました頂上にはビカビカの高級ホテルが。NYを出て以来の初めてのホテルでした。ポーターがドアを開けてくれます。

「いらっしゃいませ」

「一晩止めてもらえますか?」

「もちろんです、どうぞ」

きれいな英語でした。私はほっとしてここに一泊しました。サハラの垢をゆっくりと落としてからダイニングルームに行き、赤ワインを一本開けてもらってフルコースのフランスディナーを決め込みました。そして豪華なダブルベッドにこの身をひとつ転がしてみました。思いもかけない、、、寂しさが、、孤独感が私をいきなり震わせました!!嗚呼、、タカコへの怨念、、消えやらずにたまさかに燃え上がるのでした。

エジプトへと向かうべくチェニジアのボーダーへと行きました。しかしここからは陸路エジプトへは入れないとの事でした!?エジプトはチェニジアからの陸路の移動者を遮断しているのでしょうか!!仕方ありませんからここからフェリーでシシリー島へと渡ることにしました。イタリアからスイスそしてパリへと帰るしかないようでした。ところが港で車をフェリーに載せる手続きで、まったく英語が通じないのでどうにもならないのでした。係員はとうとうとフランス語を喋っているようなのですが私はまったくフランス語はだめなのです。後ろには行列の人が20人もつながっているのに困ってしまいました。そしたら後ろから英語とフランス語を喋る旅人が助っ人に来てくれました。それによるとこの車の持ち込み料金を国の銀行に行って振り込んでからその証明書を持ってきなさいということでした。やっとの事で私と愛車は船上になり透ける地中海をイタリアへと航海しました。

 

イタリア ITALY

シシリー島、それは私にはイタリアマフィアアルカポネぐらいの知識しかない島です。中央の商店街と言うか住宅街と言うか古い覆いかぶさる様な町並みには選択のラインが縦横に張られ、色とりどりの洗濯物がとても目を楽しませてくれました。古都と言うか古い伝説の街そのもののような雰囲気のある島です。親しみがもてました。

おなじみのイタリアの長靴のとったりから本土へと入り北上します。深い豊かな身にしみる緑の渓谷に超高架ハイウエイが天の架け橋のようにして走っていました。息を呑む美しさです。はるか下方の渓谷のへりには鉄道がうねっています。ハイテクと自然がこれほどに融和している景観は初めてでした、感動です。峰の頂を行けば眼下の岩山の又頂にはなんと古城が孤高の美しさをまとってたたずんでいます。南イタリアの何処までも深い濃緑のファンタジーそのものでした。これ等の峰峰を越えて下りるとそこは世界三大美港と言われる夢のナポリ港でした。まったく噂に相違のない優雅な弧を描いたナポリの沿岸でした。浜辺で野宿をしてから翌日は世界の全ての道はローマへと通じると言われた芸術の町へと向かいました。なだらかな山越えの果てに私が眼下に見たものは、それは美しいローマの都でした!!パリの美しさとは又違って落ち着いた趣の有る濃くの深い赤ワインのようなイメイジの都です。

ここでは街中のユースホステルにドミトリーのベッドを予約しました。たくさんのバックパッカーたちが世界中から来ています。このユースの近くにオリンピックプールがありました。これはいいサハラの汗をゆっくりと泳ぎながら流してみるかと二時間ほどをプールで遊んでみました。充分に泳ぎを堪能したからと道路サイドにパークした車に戻ってみたら鍵があいていて車の中わ空っぽになっていました!!寝袋から歯磨きや洗面具、そしてニコン一眼レフの200ミリ望遠セットとすべてがやられていました。忘れていましたここが有名な泥棒天国ローマだと言う事を。どうにも悔しかったのは今までに撮った写真のフイルムでした。だったらパスポートや現金クレジットカード、トラベラーズチェックを入れた巾着袋はとハンドルの下方のポケットを見たら信じられないことにこの財産だけがぽっこりそこに入っているのでした!?これは泥棒さんのお慈悲かと思いましたが決してそんなことはないでしょう洗面具まで持って言った奴です、これはうっかりミスで残してしまったものだと思います。これ以後私は好きなカメラを辞めてしまいましたショックが大きかった為です。

とりあえず金は無事でしたから必要なものは又買い揃えて芸術の町の観光と決め込みました。バチカン宮殿に足を踏み入れて右手側にピエタ像を見たときのオドロキは生涯忘れる事はできません。ミケランジェロが彫りおこした傷ついたイエスを抱きかかえるマリア像、、、何度も幾度も美術史の写真で見ていたピエタ像、、、目の当たりにしたらその存在感はこの殿堂をも圧倒するようなオーラを放っていました。人間が人の手がこれほどのものを彫り起こす事ができるのだろうか。いや、そんなことは決してありえない、これは神の手が生み出したものだろう。私にはどうしてもそうとしか思えませんでした。この時このピエタ像は強化ガラスで覆われていました、なぜなら、この前年にこのローマに住む彫刻家がハンマーでこのピエタ像を傷つけると言う事件がおきたからでした。私にはこの彫刻家の気持ちが痛いほどに分かりました。同じ町にこんなゴッドハンドによる傑作が鎮座していたらとても作家は自分のノミを振るう気になれないでしょう、、、、だったら壊してしまうか!!この短絡的な衝動を決して笑う事は出来ない迫力を持ってこのピエタ像は私の前に息づいていました。そしてダヴィンチからトレビの泉、古代の競技場、どうにも濃厚な創造の町のローマです。だからと言って初日の泥棒騒ぎは私に安穏をこの町はくれる事はありませんでした。

 

ローマがあでやかなら、フローレンスは奥ゆかしさ、、、私にとってはこのイタリアで一番気持ちが落ち着いた古都でした。緑と古い建築物がとても見事に融和してハーモニーをかもし出しているのです。そしてこの優雅な町並みを見下ろす小高い丘の上に富豪の別荘があるとの事で、この富豪は自分がなくなるときに遺言としてこの邸宅を世界の若い旅人たちに解放したいとしてユースホステルに寄贈したとの事です。日本人とか外国にある日本大使館とかは日本人バックパッカー(旅人)をはぐれ者と言う感じで蔑んだ目で見ますが、欧州の人たちは若い時の旅が吸収する栄養分の豊かさを知っているようです。ですからバックパッカーに寛大です。こういう意味においては日本は後進国と言うほかはないでしょう。

さすがに大富豪の別荘だったのでしょう、町を一望する一等地に建てられていて、この丘の入り口から数キロに渡っての私有地のようでした。手入れの行き届いた造園の間を登ったところに白亜の家があり、たくさんの旅人が憩っていました。私は例によってドミトリーのベッドを予約してから庭園でのランチがあるというのでいって見ました。すでに10人余りが行列していたのでその後に並んでいたら、突然後ろから日本語で声をかけられました。

「あのう、日本の方ですかあ?」

振り返ってみたら美しい日本女性が二人で私に微笑んでいたのです、驚きました!!パリを後にして以来始めてであった日本人ですから。

「はい、そうですけど」

「ランチする為の列はここでいいのですか?」

「いや、俺は今来たばかりだからよく分からないけど、、たぶんこれでいいんじゃないかな」

と言うきっかけで一緒にテーブルを囲んでランチになりいろいろと話が盛り上がりました。彼女たちはヨーロッパ一周の列車周遊券をもっていて二人で気ままに旅を楽しんでいるようでした。私は私のこの旅のいきさつを話して、、結果はパリで美術学校に行きたいのだと話しました。結果、午後に行く予定の美術館に一緒に生きたいといいます!!私は正直困ってしまいました、、、旅はひとりがいいのです、、ましてや失恋中のわが身です。それに行くところは美術館、、今日はダビデの像に出会えるのを楽しみにしていた私です。それをこの明るく健康的な彼女たちといったならとてもゆっくりと美術鑑賞など出来るわけもないのです!!ですから、

「弱ったなあ、、俺できたら一人でぶらぶら行きたいんだけど、、」と言ってみました、、そしたら、

「だめですよ、冨澤さんは、、さっきの話では今女性の事でとても傷ついてるでしょう、だから一人でいて考え込んでしまうのはよくないわ。私たちが気持ちを楽にしてあげる事が一緒にいたら出来ると思うのよ」

なぜ今であったばかりの私にこの人たちはこんなに親切なのだろうと不思議になりました。その答えは、結果、ほだされてしまって美術館めぐりをした後にわかりました。彼女たちは私が車で旅しているのを見て一緒に行きたいとヒッチしているのでした!!

「冨澤さんこの車で一人でサハラを走ってきたんでしょう、すごいわー。それでこれからパリへと行くんでしょう。あのねえ私たちもこれからパリなのよ、どうかしら冨澤さん一緒に乗せていってもらえないかしら。その間のガソリン代は私たちが持つと言う事でどうかしら?」

これは、まったく困った質問でした、、これでは楽しいだけの移動になってしまって私本来の旅ではなくなってしまいます。彼女達の旅は仲のよい友達同士で多分半分は観光旅行なのでしょう。出費を少なくする為にユースには泊まっているけれども、私がぎりぎり追い詰められてしている、有る意味では自虐的な旅とは異なる事のように思えるのです。救いがたいわたしは自分で自分を追い詰めてはまったく腹の足しにもならない失恋病と仲良く、、、とても苦しい旅をしていたのです!!このことをとっくりと彼女たちに説明して、その日は即答を避けました。しかし翌日もまたランチのガーデンで一緒になり、又もにこやかにあっけらかんと明るく彼女たちは私に迫ります。

「ねええ、トミザワサン、、そんなに深刻な顔をしないで。ここからスイスそしてパリでしょう。2〜3日のことではないですか、ね、少しは楽しく移動しましょうよ。だめですよ、そんなに深く考え込んでしまっては」 

まったく彼女たちの言うとおりだとは思うのです。それでも渋っている私がいたのですが、しまいには断るのにも疲れてきました。そうかもしれない余り考え込まない為にも少し彼女たちと一緒に走って頭をカラップにするのもいいかもしれない。彼女たちのあきらめない攻防にあって、そう考え始めた私でした。

「OK,分かりましたよ、それでは明日の朝ここを出ますから、一緒にパリまでは行きましょう。それに別に俺の移動なのだからガソリン代なんていらないですから」

「ワアッ、、、ほんとですか嬉しい。いや、でもガソリン代はだったら、せめて半分でも出しますから」

「いいですよ、そんなもの」

 

スイス SWITZER LAND

そんないきさつで美女二人を乗せて北のスイス国境へと向かい珍道中が始まりました。イタリアでは水が悪くてパリとおなじにドリンクウオターは買って飲んでいたのですが、イタリアからスイスに入ったとたんに道路わきの水道に人が群がっているのです。ナンだと思ったらスイスの水はこのままで飲めるのだとイタリアから入ってきたばかりの人たちがワイワイとしてこぞって飲んでいるのです。当然我々もヤイヤイとにぎやかに美味しいスイスのただの水で喉を潤しました。

スイスアルプスを走って驚きました。その余りの美しさにです。今まで写真集とか絵葉書で見たスイスよりもきれいなのです。そんな国は初めてでした。そこに点在する家々も下って出会う町並みも全てが絵になっているのです!!こんなに自然に恵まれてこれほどに調和の取れた人の生きる為のあらゆる建造物がその中に溶け込んでいる景観の連続は私はかつて経験した事がありませんでした。

一週間前に走っていたサハラがまるで嘘のように思えるこの大地のギャップです。そしてどちらにも我々と同じ人間が住んでいるのです。そして私にとってはサハラの砂漠もスイスの美しいアルプスもどちらも余りの独自性の濃さに、素直に入ってはいけない隔たりを感じたものです。これ等雪をいただいた霊峰を見上げながら姫たちもはしゃいでいます。そして言います。

「あのね冨澤さん、この車は4人乗れるでしょう、後ろの席で私の友達がひとりではなんかかわいそうだから一人男性を乗せません、そしたら4人でモット楽しいと思うのだけれど」

「アラッ、、アタシは大丈夫よ気にしないで欲しいわ」 あわてて後ろの席からは返事が返ってきました。

あっけらかん姫の新しい提案でした!!まいりました、モットにぎやかにしようと言うのです。でも考えてみたら、それは一見ツーペアーのほうが、、バランスがいいかもしれません。私には拒否できるハッキリした理由があげられませんでした。こうして姫のペースにどんどんなって行くようでした。ちょうど我々はアルプスを目指す登山家たちがたむろするふもとの町に来ていましたから、姫曰く、

「OK、、それなら山を降りてきた日本人の登山家がいいわね、カッコいいのを探しましょう」

そうして探し始めたら、15分もした頃にカッコいい青年が朴訥としてザック背負って歩いていました。さっそく姫が降りていって声をかけているのですが、どうも青年は驚いて美女の人攫いかなとか思っている様子でした。無理もありません、女性から車に乗らないかと誘っているのですから。仕方なく私が出て行って事情を説明しました。我々はパリへと向かっているが車の席がひとつ開いているので良かったらどうですかと聞いてみましたら、彼も山を終わってパリへと行くところだといいます。

「だったら問題ないよどうだい一緒に行かないか」

「はあーそういうことでしたら、、でもいいんですか、、なんだかわるいですね」

好青年は恐縮しながら車に乗り込みました。そうして峰を巡っておおきな美しい湖畔の近くのユースに、それぞれのベッドを予約しました。もちろんドミトリーです。こうして四人がそれぞれの目的を持ってパリへと向かう事になりました。姫たちはパリかロイギリスへと渡るといいます。私は出来るなら創作に入りたいがいまだにおぼつかない精神状態でした。山を降りてきた好青年はパリから日本へと帰るといいます。さてユースで晩飯でもかっ込むかなと思っていたら、又も姫の提案でした。彼女が言うにはこの湖を見下ろす丘の上に高級イタリアンレストランがあって評判だとガイドブックに書いてあるが、、

「よさそうねえ、どう四人の出会いを祝ってパーッと行きませんかあ?」

これまた、それほど反対する理由もなくてたまにはいいかと皆でいく気になってしまいました!!したたかにワインを開けて久々のこれまたフルコースです。とってもわき合い合いと楽しい食事を我々四人は堪能したのでした。ここまで来るとあっけらかん姫の統率力と言うかリーダーシップはたいしたものだと感心してしまいます。多分彼女以外の我々三人ともにそう思ってこの夜の明るい笑顔の彼女に感謝していたと思います。そんなみんなの気持ちを充分にテレパシーで感じてしまったらしい彼女は、又も発案でした!!

「ねえ、私たちこんなに楽しいのに、これからドミトリーのベッドへ帰って眠ってしまうなんてもったいないと思わない。どうかしらこの気分のまま夜どうし走ってパリまで行ってしまいません!」

あっけらかん姫のこの提案はわたしに眠らずに走れといいているのでした。それはないんじゃあないのお姫様俺が疲れちゃうじゃないといってみたら、すかさずにお返事でした。

「だって、トミザワサン今までに何度も夜どうし走って一日に数百キロも走り切ってきたって言ってだでしょう、、だいじょうぶトミザワサンの腕なら軽いわよ」

それを聞いていた他の二人も何か目を輝かせてそれはいいかもしれないとか思い始めているようでした。これまた、、まいったなあのため息と共にGOになってしまいました。ドミトリーのベッドをキャンセルして、それでは朝日に輝く凱旋門目指して突っ走りますか。

「O、K、レッツゴーですねえー」

 

フランス FRANCE

誰も眠らずに夜中の国境を越えてフランスに入り、緑と土の香る夜風を切り裂いて走り抜けました。夜明けにはもうパリです。とうとう地中海沿岸を一周して又私はパリへと帰ってきました!!シャンゼリゼーから凱旋門、ブローニューの森の奥にあるユースへと到着でした。とりあえずは眠ろうとそれぞれにベッドに身を投げましたが、その前に彼女の今夜の提案がすでに我々には伝えられていました。

「起きたらねえ、シャンゼリーゼに日本食を売ってる店があるってこの本に書いてあるから、仕入れに行きましょう、今夜は私と彼女の手料理で男性お二人をおもてなししまーす」だいたい何処のユースも自炊したい旅人の為にキッチンが開放されているのです。それを彼女はフルに活用したいという事でした。この町で我々四人はお別れなのです。しかし誰もが何か別れがたい感情を抱いているのでした。美術館や観光スポット何よりもわたしにはユースのあるブローニューの森が素敵でした。毎日皆で料理を作ってはディナーを楽しみました。彼女たちは本当に私によくしてくれました。しかし私の恋の病は考える事を一時ストップしていただけでとても癒えるものではなかったのです。明日はお別れね、明日はお別れねといいながら我々はなんと七日間(一週間)もこの森のユースホステルで過ごしてしまったのでした。そして別れがたきを押さえていよいよそれぞれの旅立ちの日を決めました。

まずは姫たちをロンドン行きの鉄道駅に送ってから好青年を日本へと帰る飛行機が待つ空港へと送りました。

私の時間が帰ってきました。すっきりと空っぽになった空ろな私だけがパリの街に残ったのです!!嗚呼、、とても、とても、創作に入れる私などは何処を探しても見当たりませんでした。この町は私にタカコ姫の裏切りのドラマを見させた街です、数ヶ月前のあの怨念地獄への始まりが又ここに来て蘇ったようなものでした。どうするか、又思案でした、、、ギリシャに行って見るか、、エーゲ海に浮かぶ島に思いっきりお昼ねと行こうか、、、そう考えた私はもうハンドルを、、またもスイスへと向けて切っていました。

 

スイス SWITZER LAND

目的地はエーゲ海。ルートは又たどってきたスイス、イタリアへと戻ってから、スロヴェニア、クロアチア、アルバニア、そしてギリシャです。まるで通常の旅人が取らないコースです!!なぜならイタリアからギリシャへ入りたいのなら普通は車をフェリーに載せて一気にギリシャへと行くでしょう。政情不穏な西ロシアの一部など誰も走らないようです。しかしこれが私の旅なのです。己を緊張させるのがある意味での目的なのですから。独りでたどるスイスアルプス、だったらツェルマットへはいってマッターホルン、アイガー北壁でも眺めてみようと思いました。このアルプスのふもとの美しい町には車は入れません!!街中は電気自動車だけが走るのを許可されていました。1973年の事です、排気ガス規制どころではありません、一切の車が禁止されているのでした。驚くべきスイスの現実でした。

ここのユースホステルはアイガー北壁を真正面に見て豊かなみどりの町を見下ろす絶景の一等地に建てられています。そしてここで食べた食事が世界のどの国の食事よりも美味しかったのを私は忘れる事が出来ません。

青い空に雪をいただいたマッターホルンがそびえます。言葉をなくすほどの美しさでした。頂上付近には万年氷河がありそこの万年雪のスロープではスキーも出来るとの事でした。せっかくここまで来たのだからその万年雪を滑ってこようと、私はスキー用具をレンタルして出かけました。

しかしスロープでの滑降は良かったのですが、その下の氷河はとても私の腕ではまともに滑り降りる事は出来ませんでした。足元の氷のその下を流れる解け水を眺めながら、しまいにはスキーを担いで降りる羽目になりました。それでもめったに出来ない経験をして私の心は高揚していました。

 

イタリア ITALY

スイスを後にして一気にイタリアへと下り、先回は行かなかった夢のベニスへとやはり車を置いて船で入りました。ここでは交通手段が水路なのですから移動は船になります。ロマンチックなゴンドラはツーリスト用で通常は神風パワーボートタクシーが水しぶきと轟音を上げてかけていました。水の上の都、、、人間て奴はなんてものを作り上げてしまうのだと、、ただ驚き目を見張るだけの私がいました。

スイスの大自然美とイタリアの人工美に充分に心酔わせた私はここからは一気にギリシャのエーゲ海を目指して仮眠を取りながら走り抜ける事にしました。国境を越えるたびに異質な大地が現れます。ギリシャはまったくヨーロッパの一部だろうという先入観念がありますが、やはりスロベニアやクロアチアは異質でした。

 

クロアチア CROATIA

ハイウエイと言えるような代物はまったくなく二車線の道路で追い越しをかける車の事故が目立つとても危険な道路状況でした。大移動するトラック群が休憩する巨大な雲助溜まり場で飯をかっ込みながら、まるで戦地でも走り抜ける緊張感を持ってハンドルを握り締める私でした。

 

セルビアモンテネグロ SERBIA AND MONTIENEGRO

アルバニアの緑はどういうわけか剣が立ちささくれ立ったイメイジがその土くれと共に臭ってくるのでした!!

 

アルバニア ALBANIA

この地域の雰囲気は今までたどった何処の国にもないものでした。ヨーロッパの東のはずれ、巨大なソ連の西のはずれに位置する、私に何の感動も与えない国々でした!!

夢見るはエーゲ海、、、私の意識はどっぷりとその甘い言葉に魅せられて、ただ闇雲に走り抜けました。一日に2度の仮眠で4〜5時間ですから17〜8時間は移動している事になります。我ながらよくもここまで走り続ける事が出来るものだと感心してしまいました。そして愛車中古のルノー10、こやつとの一心同体の快適な走り、この車の持つ底知れない強靭さにも目を見張る私です。いよいよギリシャに入って、そのままほとんど観光客の来ない東海岸を目指して走り続けます。なぜなら、そこには手付かずのエーゲ海のたたずまいがあるだろうから。私はそう想像したのです。

 

ギリシャ GREECE

東海岸に近づくにつれて木々が低くなり密度のある緑に変わってきて大地には白いギリシャ特有の石が目立つようになりエーゲ海が近い事を嫌でも私に感じさせてきました。丘を下る感じになったところで視界が開けました。眼下のそこには透明な群青の海が広がり透けて抜けるような藍の空!!私のイメイジしたエーゲを凌駕する現実でした!!ここでなら当然としてソクラテスの哲学が生まれるはずだと直感しました。世界一の透明度を誇るエーゲ海の空です。浜辺の小石ひとつをけってみても自分が太古の息吹に触れているのだと身震いしながら感じてしまうほどの興奮でした。私は我を忘れてしばし呆然としてこの浜辺を散策していました。嗚呼、、これがギリシャか、、これがエーゲの海か!!

それから東海岸を南東に下りアテネを目指します。点在する浜辺の遺跡群に目を洗われながらの楽しいドライブでした。

町を睥睨して、こよなく統治してやまないアクロポリスの丘がアテネの町を引き締めていました。直感で私は思いましたこの町は私の相性にとてもあっていると。町の北方の雑踏の内にくすんだアテネのユースでしたが、ここには東から来た旅人、西から来た旅人の交点なのです。ですからどちらに行くにしても旅人同士の情報交換が出来るのです。エーゲの島ではミコノスが良かったとか、いや俺はクレタだとか、つまりエーゲの島々に遊んだバックパッカーたちの100%がそれぞれの島で信じられないほどの感銘を受けているのでした!!どうしてそこまでと言うほどに島の住人の優しさや安宿の好感度がとてもいいのです。誰に聞いてもそうでした。挙句に世界に悪評の日本領事館や大使館もこの地アテネだけはとっても親切にしてくれると、これはイタリアに居てもパリにいても聞いた話でした。

私はアクロポリスの丘のパルテノン神殿に魅せられて数日間を通い続けました。屋台で買ったシシカバブをほうばりながら、あきもせずにこれ等の白い古代の支柱に見いっていました。何日めかに支柱の台座のところに腰掛けて、、何か不思議に私をひきつけてやまないこの神殿にじかに触れてみました!!目線を移動させながらこの台座がとってもゆるくカーブしている事にきずきました!!どうしてか中央が目に感じるか感じないほどの微妙さで膨らんでいるのです、そして当然四隅が低くなっています?これはナンだもしかしたらパースペクティブかとおもいました!!だったら支柱は、どうなっているのか、、、私にとっては大発見でした。全ての支柱が中央に向かって意識できるか出来ないかの角度で傾いているのでした、だったらルーフの梁もかと検討したらそうでした。全てが天空の一転を目指してわざとパースを生かして建造されているのでした。この意味するところは下から見上げたときには通常のパースは自然に起きますが、それに加味されてパースが生かされていることで天に登る動きの加速が意識下に呼び起こされる事をねらったものでしょう。つまりパルテノンは神聖なものなのだと言うイメイジを人間が作り上げたわけです。ましてや町から見上げるアクロポリスの丘のその頂にそびえるパルテノンなのです。その効果は著しいものがあるでしょう。そうして古代からこの神殿はアテネの守神であったのでしょう。このようなことはガイドブックには書かれていません、自分の目で見て触って始めて感じる事が出来るもののようです。

エーゲ海には無数の島があってどの島を訪ねたらよいのか迷ってしまいます。私は島に最低でも一月を滞在する予定にしていました。フェリーで車も運ぶつもりですから、だったら大きい島がいいかもしれないと単純に思考してクレタ島へと渡ってみることにしました。これで今回三度目の地中海横断航海になります。クレタ島のメインハーバーイラクリオンに上陸してから、さて東に走るか西に向かうかと思案しました。この島では浜辺の近くの安宿を探して静かにゆっくりと海と風を楽しみたいと言うのが私の希望でしたから、おおきな観光客がたくさん集まる町は避けたいと思っていました。ですからはずれの村と言う感じで探したかったのです。私は東へと走ってみる事にしました。それで気に入った浜辺の宿がなかったら仕方ないから又西へと走ればいい、時間はあるのだから!!

左手にエーゲのたたずまいをエンジョイしながらいくつかの浜辺の町を過ぎました。これと言って私をひきつける緑と浜と風を感じる場所は見当たりません。とうとう東のはずれシティアの町までやってきてしまいました。浜の小さい港に原色のギリシャ特有の漁船が浮かび、そこからなだらかに白いイメイジの島の住宅が丘に向かって広がるのですが、どうもぴんと来ません。何処の宿も浜から少し離れています。私の希望は部屋から水着で浜に出て泳げるところが理想なのです。そして何処よりも安い宿でなければならない!!長期滞在なのです、通常のホテルなどは頭から外しての旅です。そしてここが私にとってのヨーロッパの東のはずれになるのです、ここで頭をクリヤーにしてタカコへの怨念を断ち切れなければもう私にはいくところがないのです。私にとっては創作に入れるか否かの正念場の島なのです。

そう気負ってみたところで私の五感をくすぐる宿が見つかりませんでした!!まいりました、、ここが東のはずれなのですから。思案した挙句にそれでは西の反対方向に行って探してみるかと決めて、だめもとで東のとったりの人家も見当たらない岬を回ってみる事にしました。そしたらアキラメもつくだろうから。左手に浜を見ながら小道を行きます。右手には潅木を抱えた畑が広がっていました。そして正面には丘をいただいた岬が浜にその鼻を突き出しています、、、、、。どうもここまでのようでした、、これ以上行っても何もないだろう、、文字通りの東のとったりなのでした。後五分も走ったらあの岬の丘に突き当たるだろうからそこで引き返すかとようやくに私もあきらめて覚悟を決めたのです、、、ここまで来て、、私にとっては奇跡と言うような事態が起こりました、、、、!!

左手はすぐに浜です、その右手に少し茂みが周囲の畑に囲まれて茂っていました。その茂みから少しブロック塀が見えているのですがそこに赤いペンキでの殴り書きで(ペンション)と書いてあります!?しかしとても家らしくは見えない、、、!!でも宿と書いているのだからと思って近づいてみました。そしたらおくに細長い家で正面の狭い塀が木々と蔦に覆われているから、まるで家には見えなかったのです。蔦が絡まる木戸のような代物が玄関のようでした。覗いてみると、、ナンとおくに向かって右側には五つほどの個室があるみたいでした、その前には石のテーブルと上にはひょうたんの弦が絡まり日差しをよけています、、、私は直感しました、、、これこそが私が今回理想とする宿ではないのかと!!声をかけてみました。

「ハロー、、どなたかいませんかあ?」

何の返事もなく柔らかい庭の木漏れ日がそよ風に揺らいでいるだけでした。二度目の問いかけで返事が返ってきて右手の台所のようなところからおばさんが出てきました!!黒ずんだもんぺみたいなものをはいて前掛けを閉めてその手は洗濯でもしていたのか濡れています。まるでこの時より12年前に逝ってしまったわたしが二十歳の時の横須賀の田舎のお袋にそっくりなおばさんでした。何と言うことでしょうか、私は一瞬おふくろが目の前に現れたと驚いてしまいました!!

「ナンだねえ、、大きな声出してえー」

「ハイ、アー済みませんここはペンションですか部屋は開いているでしょうか?」

「開いてるよ」

「そうですか、一月居たいのですが世話になっていいでしょうか?おいくらですか?」

おばさんの説明では、毎日朝晩の食事はこの庭で家族と一緒にする事。その値段は他に比べても格安でした。そして石のテーブルに載ってる果物はいくら食べても食べ放題と言う事でした。よせばいいのに私は余計な事を言ってみました。

「おばさん、一月居るんだから安くなりますか?」

「何言ってるんだねえ、、うちはそもそも安いんだよこれ以上はまからないよ」

ごもっともでした、私は理想の宿を見つけてさっそく部屋に荷物を車から移しました。ベッドに机と電気スタンドがあるだけのコンクリートの床の小さな部屋でした、、、、充分です。前はひょうたん弦の小さなガーデンのテーブル、そこには、嗚呼、、、木漏れ日、、!!私に食事を作ってくれるおばさんはお袋の化身。ここまで条件が満たされたのならこれはもう運命と呼ぶにふさわしい出会いだった事でしょう。

ここで面白いのは、、さきのおばさんとの会話は、私が英語を喋りおばさんはギリシャの土地の言葉を喋っているのですからまったく通じてはいないのですが、、、これが不思議にわかるのです。お互いにだいたいのフィーリングで喋っていてはあたりを付けて応えているのですが高度なビジネス用語でもあるまいし、寝たい、いくら、お腹が減った、トイレはぐらいは身振りでも充分に通じるものでした。午後には学校に行っていたおばさんの娘マリー(12歳ぐらい)が帰ってきて夜の食事は狩に行っていたおばさんのだんな様(ババ)も帰ってきてみんなで楽しく食事でした。このペンションの家族全員が英語は喋りませんでしたが、さっきの要領で適当に分かり合っていました。ババもマリーも人懐っこくて最高です。

目の前の浜で朝から何度も泳いではお腹をすかせて濡れた体のままペンションに帰り果物やおばさんの食事にむしゃぶりつく、まったく言う事のない私の質素でいて心豪華な日々が始まったのです。ガーデンの上に日をさえぎるひょうたんには、今までにここに泊まったイギリスやドイツから来た旅人が思い出を書き残していました。誰もが忘れられない思いでを書いていて、このうちのほとんどが毎年夏になるとやってきてくれるそうでした。ヨーロッパでは年に最低一ヶ月から二ヶ月の休暇を誰もが取ります。お金があってもなくてもこのバケイションの為のお金だけは蓄えておくようでした。文明を極めた国々の民がたどり着いた人生への自然治癒力がここから生まれてくるのかと納得させられる現実でした。とても世知辛い日本人には出来ない生活のリズムです。そうこうしているうちに昨年にハネムーンでここにやってきてエンジョイしたという若いイギリスのカップルがやってきました、又ドイツからは車関係の会社を経営しているという老夫婦もやってきてにぎやかになりました。

 

 

極めつけはババの親友だというシティアのドクタージョージでした。ババが日本人が来たというので大の日本好きなドクトルジョージを私に紹介するために呼んだものでした。上等な赤ワイン片手にある夜にペンションにやってきたドクトルジョージでした。

「ハーイ、アナタが日本からやってきたという旅人かな、私はジョージだよろしく。」

流暢な英語でした。ジョージはシティア一のお金持ちで美しいワイフと娘を持っているとババが言っていました。この町の名士のようでした。

「ハイ、トミザワです、、よろしく。」 と返しました、するとジョージはとうとうと喋り始めました。

「私のおじいさんは山本元帥と握手した事のある人間だぞ、私も日本という国は大好きなのだミスタートミザワ、、あなたに会えて私は嬉しいよ。一月もここに逗留するというじゃないか、、私はしばしばここに来てトミザワとワインを酌み交わして日本のことや旅の話を聞かせてもらいたいものだ。」

「こちらこそ、よろしくお願いしますドクトルジョージ。」

この時のジョージの言葉とおりに彼はときには続けて、、空けても2日という具合にほとんど夜は私とババを交えての、家族との食後のワインを楽しみました。

と、ある日の午後に私がガーデンのテーブルで果物にかぶりつきながらNYから持ってきたソクラテスの弁明に目をやっていたら入り口のほうから声が聞こえます。

「ハローどなたかいませんかー、、水をいただきたいのですがー」

若い女性の声できれいな英語です、、又怒鳴っています。どうも誰もいないみたいです。ママは何処に行ったのかな、とか思いながら私が玄関に出てみました!!金髪のうら若き女性がそこにいました。

「あのーあたしたちここの前の脇の草地にテントを張ったのですがかまわないでしょうか?」

「エッ、、いや俺、ここの客だからわからないけど。いいんじゃあないですか開いてるみたいな草地なんだから。まあ、ママかババが帰ってきたら聞いてみるけど問題ないと思うよ。」

「そうですか、それで済みませんが炊事する為の水をいただきたいのですがいいですかア!!」

「ああ、そう水ね、そうそこにホラ蛇口があるじゃない持っていったらいいと思うけど」

彼女はもってきたポリ容器に水を入れてにこやかに帰っていきました。玄関から出て左手の草地を見るとそこには4〜6人用のテントがすでに張られていました。彼女はリサと名乗ってロンドン大学の学生だといいました。仲間4人でテントを張りながらクレタの浜をヒッチしながら移動する予定だといっていました。これから彼女たちとは目の前の浜で毎日顔をあわせることになりました。しかし、どんなに美女たちがグラマーなビキニでたむろしていても女性問題で落ち込み旅行をしている私にとってはまったく興味がないものになっていました。ここまで来ると我ながらこれは重症だと思わざるをえませんでした。

この浜には達人がいました。おじいさんですが毎日シティアの港のほうから背泳でゆっくりと泳いできては右側の岬の手前でターンしてきてそのまま一度も浜には上がらないで又もと来た方へとゆっくりとぬんぬんとして泳いで帰っていくのです。私とは泳いでいて出会うものですから互いにニターッと笑顔を交換します。私にとっては達人だなと納得するしかない老人でした。その挨拶を交わしてからしばらくしたら浜から女性の黄色い叫び声が聞こえます。

「トミーッ、、トーミーッ、、、」

浜でビキニのグラマー、水をもらいに来たあのリサが仲間と日光浴しているのですが、彼女が立ち上がって私を呼んでいるのです!!どうしたのかと浜に泳ぎ返ってみました。彼女らの傍らにいかにもビーチボーイという感じのグリークの若者が二人たっています。「この野郎たちおいらの娘たちに悪さをするんじゃあないぞ」 とか腹の中で考えながらリサの所へといってみました。

「ハイ、リサどうしたの?」

「あのねトミ、彼らがね島のうらがわにあるヌーディストビーチに行かないかって誘ってくれてるの。凄いきれいなビーチだって有名なのよ、ねえ、だからトミも行かないかって思って!!」

これは知りませんでした。エーゲ海の島のどこかにあるらしいとは聞いた事があるけどまさかこのクレタにもあるとは!!

「俺、別に興味ないから、、、リサ達は彼らと行ってきたらいいよ。俺はこの浜でひとりで泳いでいるのが好きだから」

そういって断ったのですが、リサが言うには彼らの車には4人しか乗れないからみんなで行く事が出来ないのだと!!だから私が行けば車が2台になって全員がいけるという、つまりアッシー君として私を誘っているのでした。これは困りました、別に彼女らの楽しみを邪魔するつもりもないのだけれど、私が行かなければ彼女らは行きたいヌーディストビーチへといけないのです!!それでは、かわいそうだとしぶしぶOKして2台で出かける羽目になりました。はじけるような若さ真っ只中のロンドンっ娘たちはおおはしゃぎです。

「サンクス、トミー、、OK、、レッツゴウー」

東のはずれの岬を回って島のうらがわへと出ました。私にとっても初めての島のうらがわです。まったく人家はなく手付かずの赤い岩肌の原野と断崖という感じです。4〜5十分も走って左手に断崖がそびえる下に先導者が止まりました。ここからは車を置いてこの崖をよじ登った向こうにそのヌーディストビーチがあるのだといいます?まさか、どうしてこんなところに、ましてや道もなく車も入れないところにと私はいぶかりました。

ロッククライミングみたいにしてようやくに崖をよじ登ったらそこは荒れた表面の台地になっています。まるで足場のないような荒地を数十分歩いたら崖が途切れて眼下にエーゲの群青の海が開けました!!そこには両サイドを絶壁に囲まれて夢のような白いビーチが横たわっていました。何と言う美しい浜だろう。わたしたちは目を奪われて呆然としたものです。その白い入り江には4〜50人のバックパッカーたちが全裸で憩っていました!!あるものは泳ぎ、あるものは砂浜に日光浴をし、あるものはその生まれたままの姿をエーゲの太陽と風にさらして闊歩しています。なんという世界か、これは旅人たちが探し当てたひとつの理想郷なのでしょう。全てを脱ぎ捨てなぎ払いあるままの裸で男女がいこう。決して自国ではあじわえない開放感を求めて旅人たちはこうゆう場を探しては自然発生的なヌーディストビーチを作り上げてしまうようでした。

先の崖の上ですれちがった現地の猟銃を持って狩をしていたらしいグリークのおじさん二人は「又よそ者がみっともない裸の浜に遊びに行くんか」というような蔑みの目で私たちを見たことを私は忘れられませんでした!!

浜に降り立った私たちは誰もがもを見張っていました。それをわき目に入れながら我々をここに連れてきたグリーク青年二人はさっさと着ている物を脱ぎ捨てて、我々に言います。

「みんなも脱いだらいいよ、ここじゃあ裸でない奴がおかしいのだから」

しかし私もリサたちも初めての事でしたからそうは簡単に裸にはなれませんでした、挙句には彼女たちはようやくにせめてもとブラだけをとって遊んでいました。私はとうとう羞恥心の余りに脱げずでした。それにしても楽園というにふさわしいビーチでした。こんなことがあって数日してペンションの前の浜で甲羅干しを私がしていたらリサが一人でやってきました。

「ハーイ、トミーこの間は有難う」

「どういたしまして、別に俺も楽しんだからね」

「そうね、あのビーチほんとにきれいだったね。ねえトミ、これから二人で行かない,あのヌーディストビーチへ?」

「エッ、、、嫌だよ俺恥ずかしいから、、、」

「そんなことないよトミ、二人で行ったら恥ずかしくないわ。みんなが全裸だしアタシ、トミと二人なら脱げるは」

まいりました,りサはおいらにモーションをかけ始めました。しかし恋の病重症真っ只中の私にとってはとっても女性に応える精神的な余裕も遊び心もありません。しかしリサはあきらめません執拗に私を誘います。もしも二人で行って全裸だ遊んだなら、そのままでは終わらないような気がして私は彼女に答えられないのでした。この時の私はたとえ相手がクレオパトラであったとて恋に陥る用意はできてはいなかったのです。私がどうして無目的な旅をしているのか、その事は、すでに浜で何度も一緒になったりサたちには話してありました。それを承知の上でリサは私を誘っているのでした。しまいには、別に浜で裸で泳ぐだけならいいだろうと思いリサの熱心に応える事にしました。

先回とまったくおなじにたくさんの世界の旅人たちが白い浜に憩っていました。リサと二人で身につけているものを脱ぎ捨てたらここでやっと我々も彼らの仲間になれたのです。意識が変わりました風も太陽も全身にくまなく当たります、これは快感を超えて喜悦に近いものになりました。

 

「トミ、、泳ごう」

「OK、、リサ」

リサが差し出す手を握って仲間が泳いでいる、何処までも澄み切った波間に身を投げました。全裸という事が、身に衣をまとわないという事がこんなにも自由に自然と融和できるものかと驚きながらリサと戯れ泳ぎました。それから浜に上がって砂浜に寝そべります、、、生まれてこの方陽に曝した事のない恥部のうらがわのヒダまでもが直接のぬくもりを感じて驚いたのか、私の意識を離れたところでヒクヒクとうごめきました。忘我の転寝をむさぼっているうちに揺らめく意識はおかしなことを考え始めました、、、それは、、いかなる国であれ、その国を収める立場にあるものは全員がこの浜辺に集って、、我々と同じように全裸で遊んでみたらいい、、という事でした!!そしたら世界に争いごとはなくなるのではないかと!!そして、、、そんなことは、、まったく実現不可能なことと思い至って、私は、又、、心地よい海風に肌をさらしながら、どっぷりと転寝に入っていきました。しばらくしてから隣に横たわるリサがつぶやきました。

「ネエ、トミ、、そこの右手の砂丘の向こうなにがあるのかな?」

我々は海に足を向けて寝そべっていました。ですから左手には我々が降りてきた断崖があるのですが右手には起伏のある砂丘が広がっていたのです。

「さあ、続いているのかな、砂丘が、、わからないね」

「いってみよか、トミ、、、いってみよ、、!!」

リサの誘いに戸惑いながらも、断る理由も見当たらない現状でしたからOKして、仲間の寝そべる合間を縫いながら右手の砂丘に向かって歩き出しました。いくつか砂丘を越えたら後方の旅人たちのざわめきも消えて私たちが踏みしめきしむ砂の音だけになりました。握り合ってる手のひらがリサの心音さえ聞き取っているように感じられました。砂丘の只中に全裸の私とリサ。まるでアダムとイブのようかとかはにかみながら歩きました。まるで時間が止まったようでした!!

「トミ、やすもう、、」

「ん、、、」

ぬくい砂丘に又横たわってみました。握ったままの手に汗が滲みます。リサの心情が伝わってきます。でも応えられる自分はいない!!私の失恋の病は、、ここに来てまでもいまだに癒えてはいませんでした。ですから、生身の若いリサの生理の成せる熱い息吹が、たとえそこで押し殺されていようと、わたしには何もできないのでした。耐えることに苦しくなったときに私は言いました。

「浜へ、帰ろう、、リサ」

リサの誘いに応えたら、、結果、、リサを苦しめることになると分かっていた私なのに、この浜へときてしまった事を悔やみながらシティアの浜へと帰りました。その夜、例のようにドクトルジョージがワイン片手にペンションへとやって来ました。開口一番。

「トミはそこにテントを張っているイギリス娘をガールフレンドにしたのかい?今日は二人で出かけたそうじゃないか、、んっ」

「そんなんじゃないですよジョージ、、彼女と隣の浜へ泳ぎに行っただけですよ」

「ところでな、、トミ。私は岩をくりぬいた別荘を二つ持っているのだがな、そこのディナーにトミを招待したいと思うのだがどうかな?」

何かどきどきする響きを持ったジョージの誘いでした。よく聞いてみると、彼は島の台座になった頂の原野に気に入った岩を見つけてはそこに行く道路をまず作り、石工を雇って岩をくりぬかせてドアや窓、煙突まで付けて移住空間をつくりあげてはそこを時々の憩いの場としているようでした。

「取って置きの年代ものの赤ワインと猟師に山鳥をハンティングさせて鳥鍋だぞ、どうだ、豪快だろう、トミ」

「なんかあ、すごいねジョージ、、ぜひ、連れて行ってくださいよ」

「OK、トミ。それでな、ワインも料理も充分にあるのだから、オマエと友人になってるらしいあのイギリス娘たち四人も誘ってきたらどうだい」

「グッドアイディア、ジョージ。彼女たちも喜びますよ」

 

 

翌朝、この話を浜にたむろしていた彼女たちに伝えたら、雄たけびを上げての驚喜でした。そうしてジョージの用意が整った数日後に彼の高級車と私の愛車に全員が分乗してイザ巨岩の別荘へと出かけました。赤い岩肌の世界です。右に左に岩がごろごろあります。その中にひときわ目立つ巨岩が目に入りました。そこへはブルドーザーで作ったらしい道が続いています。それがジョージが自分の趣味の結晶だといった岩の別荘なのでした。高さも幅も7〜9メートルはある巨岩にシッカリしたドアが付けられています、中には窓があり囲炉裏があってソファーやクラシックな調度品に岩のベッドまであります。リサたちも大騒ぎでジョージの説明を聞いていました。

そして私は、東京の専門学校で住空間デザインを学んでいたときのことをいやでも思い出してしまいました。なぜなら卒業展に出した私の理想の住空間がここに目の前に作られていたからです。そのときの私の作品は壁とか天井とかの概念を取り払い椅子とか机とかベッドとかの目的意識を持った家具を排除してあくまでも自在に使いこなせる形態の造形物。行き着くところは体内回帰だったように思います。その流れそのままに、ここに、ジョージの手によって作られた彼の造形物です。ペンションのママのわたしの死んだ母親の化身といい、このジョージの感性の結実といい、、クレタ島は私に因縁を持って迫ってくるようでした。こんな思考にとらわれていた私をジョージの声が現実に引き戻しました。

「さあ、これが私の取って置きの年代者の赤ワインだ」

そういってジョージは我々にグラスを持たせて赤い芳醇な液体を注いでくれたのです。ジョージの音頭で口にしようとした液体はまず己から香りを放ちました。なんというかぐわしさだってでしょうか。そして口に含んだとたんにその液体は生きてリズムをとりまるで華やかに踊るようにして口中に広がりました、、、!!一体この信じがたい愉悦感は何なのだろうかといぶかっているうちに、雨が台地に滲みしみこむようにしてこの液体は喉越しを通り始めました。胸元に愉悦が広がりました!!こんな事があるのだろうか!?初めて口にした完成されたワインとはこれほどのものなのかと私は肝を抜きました。この感覚はリサも誰もがおなじに感じていたのです。彼女らの驚きの虚勢が穴倉住空間にこだましました。ジョージはこんな私たちを満面笑みで見つめていました。ジョージにとっても心緩やかになる時間だったでしょう。そうこうしているうちに庭がにぎやかになり、二人の猟師が猟銃を肩に下げて数羽の山鳥を抱えて来ました。さっそく鳥鍋の用意でした。

旅先での出会い、、、、そこにはお互いに感じあうだけのエキスしか用意されていないのです。生活苦や、学問の探求とか、ビジネスの成功とか失敗とか、ましてや私の失恋病とか、これ等のパーティーのときにはまったく入り込む余地もなく、ただただ、出会いの嬉しさに酔うことが出来る旅先での恍惚なのでした。決して忘れる事の出来ない思い出をジョージは私たち5人にくれたのです。よって私もリサもリサの友人たちも誰もが心からジョージに本当に素敵なパーティーを有難うといいました。シティア一のダンディーなジョージ、、、言う事なしのジェントルマンでした。

そうして、リサたちがテントをたたんで次に予定しているビーチへと移動する日が明日に迫りました!!私がひと泳ぎして浜に帰ってみると彼女たちがいました。そこからリサが立ち上がって波打ち際で私を待っていました。

「トミ、あたしたち明日ほかのビーチに車をヒッチして移動するは、イラクリオンの先のビーチよ。そこには一週間ぐらいはいるつもりよ。トミ、、遊びに来て、、、」

「そう、、移動するんだ。、、、でも、、俺きっといけないと思うよ、、、だってね、オレ、シティアのこの静かな浜が好きだから、、、、!!」

リサは見る見る顔を曇らせました。だからと言って、きっと逢いには行かないだろう自分を分かっている私は、答えに窮してしまいました。

「だってえ、、トミ。、、、アタシ、、もう一度トミに会いたいのに、、、」

「リサねえ、、前に話したじゃないか、俺、、今、失恋病真っ只中だって。だから、、苦しくなるんだって」

「ん、、分かってるけど。それ何時までも引きずっていたら、よくないと思うよ」

「俺もそうは思うさ、、、でもまだだめなんだよ。ホント、だらしないと思うけど、、、、、」

リサの納得のいく答えを出せないままにこの日もくれて、、、ミッドナイトにベッドに身を投げた私は、リサの心情は分かるけどこれでいいんだ、これで終わったんだ、明日の朝早くにリサたちは別の浜へと移動するんだから、ゴメンヨ、リサ、そうつぶやいて眠りに入った私でした。そして早朝にまだ熟睡している私の部屋のドアを誰かが叩いていました? どうしたのかこんなに朝早くに、、ママかな、とか思いながらベッドからはいずり出てドアを開けてみました。そこにはバックザックをがっちり背負った移動する体制を整え終わったリサが騒然として立っていました。

「トミ、ゴメンネ、、まだ寝ているの分かっていたけど、お別れの挨拶がしたくて、、、」

「、、、、そう、、リサ、、早いね、もう行くのか、、みんなは?」

「テントとか炊事用具とか振り分けて、みんなで背負って港の前のバス停にもう行ったわ。そこで二台の車をヒッチして行くことになってるの」

信じられません私より大きくて、見事にグラマーなイギリス娘リサが子供みたいに泣きそうな顔になっているのです。そして、挨拶が終わっても彼女は行こうとしません?どうして行かないのかなといぶかっていた私でしたが、、、ようやく気づきました!!つまり尻きれトンボみたいなこの別れがリサには納得が出来ないもののようでした。二人で裸で歩いた砂丘が脳裏によぎります。かといって応えられない自分である以上どうしようもない事でした。

駄々をこねてすねているリサ、、、困りました。じゃあ、だったらせめてみんなが待っているだろう港の前まででも送っていこうかという気になりました。

「OK、リサ、ヒッチするところまで送っていくよ」

「うれしい、、、トミ、ありがとう」

沈んでいたリサの顔にぱっと笑みが戻りました、、、ペンションから港までザックを担いで歩いたら3〜40分かかるのですが車だったら5〜6分で着いてしまいます。いました凄い荷物を道路において3人が待っていました。テントから炊事道具一式を持って移動しているのですから大変なものです。仲間の虚勢に迎えられて、、、さて二台の車をヒッチするということだけど、、うまくいくのかなと私は見ていましたが、若い彼女たちだけなら止まる車もあるかもしれないけれどこの荷物を見たらどの車もしり込みをしてしまいます。ましてやクレタ島の東のはずれのシティアの町です、通る車も少ないのです。ワイワイとはしゃぎながらヒッチをトライしていたリサたちの顔に疲れが見え始めました、そろそろ一時間になろうというのに交渉は成立しないのです。何台か止まってくれた車も傍らの荷物も一緒にといわれたらソーリーとかいって行ってしまうのですから。まあ、無理もないと思いました。その挙句には、みんなの視線が私に助けをこう様にしてじっと見始めたのです!!エッ、どうしたのかなと単細胞の私は何も考えていなかったのですが、、、まいりました、、私の車をねらい始めたのです。四人で私の傍らに来ていいます。

「ネエー、トミ、、、どう、時間あるでしょう?」

「時間あるかって、、、そんなものいくらでもあるけど、ちょっとやめてくれよ。俺のこの小さなかわいいルノーにはこれだけの人間とこの荷物だろう無理だよ」

そうしたらリサがまくし立てました。

「だいじょうぶよトミ、私たち四人はシートに座って抱えられるだけの荷物は膝の上に載せるわ、、そしてねテントとかの大きな荷物はねルーフの上に載せるのよ,そしたら行けるは。そしてね、次の浜に着くまでねトミが退屈して眠くならないようにあたしたち全員でお歌を歌ってあげるは」

なんという提案をリサはすることか、ここで又まいったなーの状況になってしまいました!!どうもこうなると私は弱いのです、、、しまいには彼女たちに負かされてしまいました。

「まったく、、まいったなあ、、OK、行きますよ、、行けばいいんでしょッ」

「ヤッター、、、、トミ、、サンクス!!」

結果、全部のドアーの窓ガラスを開けてからルーフに積めるだけの荷物を載せて、開けた窓からロープをとうしてルーフの荷物をしっかり固定しました。つまりドアーごと固定するしかないのですから乗り降りは開けた窓から車内にもぐりこむしかないのです。その後で彼女たちの膝の上に又ザックを入れます。大さわぎの果てに人間五人と凄い荷物がかわいいルノーに搭載されたのです。なんとも、やれば出来るものかと思い知らされました!!

「じゃあー行きますか、、お姫様たち」

「イエーイッ、、、、トミ、、レッツゴウー」

車はまるでスローモーションの画面のようにユラーリユラーリ右に左にと揺れます。海岸沿いのがけが多いこのあたりの起伏では結構難しいドライブでしたが、、腕には自信があるとみざわくんです、みんなの明るい歌声に包まれて快適なドライブになりました。二時間余りのドライブでたどり着いた目的の浜は大きな松林に囲まれてありました。ここではたくさんのテントが張られています、だれもが長期のバケイションなり旅なのですから旅費は切り詰めます。ここでならリサたちもまた楽しくやれるだろうと思いました。さて荷物を下ろしてそれではおいらはシティアに帰ろうかとしたら、、又、、リサのダダが始まりました!!

「トミ、、疲れてるでしょう、今日は帰らないであたしたちのテントに泊まっていけばいいのに。ね、そうしてトミ、、このままでお別れなんてあたしいやだよう、、!!」

仲間も口をそろえてそういいます、、まいりました、、しかし、とてもこのままここに泊まる気にはなれない私でした。ですから、いやどうしても帰ると言い張る私に、リサは、

「だったらね、トミ、アタシたちがこの浜にいる間にきっと遊びに来てね。何処の場所にテントを張っているかわさっきの浜の入り口からずっとメッセイジの案内矢印をアタシがつけておくから。ネ、トミが来てもすぐに分かるようにしておくからね。だからきっとよ、きっときてねトミ、あたし待ってるから」

又もリサの必死の訴えでした。どうしてこうなってしまうのか自分を御せないでいる恋の病の只中の私にとってはこのリサの訴えは苦痛になるのでした。ですから、来れたら来るけど期待しないでいてくれと釘を刺してから、私は強引に浜を後にしました!!

シティアーの浜に静けさが帰ってきてペンションでママファミリーと食事をしていたらババが言いました。

「トミ、ママのおばあちゃんが年取ってもう寝たきりなんだがな、、、ここから1時間ほどの山の中腹の村にいるのだけど、その村の守り神マリアの社が、又、近くの山の頂にあるんだよ。このおばあちゃんがだな死ぬ前にもう一度このマリアの社にお参りをしたいというんだよ。それで私が三輪車を借りてその山の凄い悪路を登れるものかとやってみたら転んでしまって駄目なのだ。それで、トミの車とトミの腕なら行けるのじゃあないかと思ってな!!どうだろうトミ、、、、おばあちゃんのお祈りの手伝いをしてくれないかい?」

ババがかしこまって何を言い出すのかと思ったら、そういうことでした。

「ノートラブル、ババ。いつでもいいよ、行こうよ」

そうしてババのファミリーとドライブをしてたどり着いたおばあちゃんの家は、白い壁に陽光を照りかえらせているエーゲ特有の村でした。石畳の坂道に年月のヒダがくぼみ、そこここにたむろする村人は誰もが笑顔で私を見つめていました。おばあちゃんは石の床の上に敷いた引き物に横になっています。年輪で枯れた頬に今日のお出かけが嬉しいのか細い笑顔がかわいく見えました。ママとババが抱えて車に乗せます。そしてママが言います。

「おばあちゃん良かったねえ、今日はマリア様にお祈りが出来るからね。ホントに行きたがっていたんだからねえ」

おばあちゃんはフンフントうなずいていました。その件のマリアの祠がある山の懐に来てみてオドロキました。それはとても道といえるような代物では決してなく、まるで乾いて削り取られた川底のようでした。幾条もの溝が交差してはえぐられているのです。これではとても三輪車では無理だろうと納得でした!!しかし私の四輪車なら、この溝の山から山へとタイヤを転がしていったら登れない事はないと見ました。時間をかけてゆっくりと安全におばあちゃんに余り負担をかけないようにと冨澤君細心のドライブテクニックでやっと登りきりました。小さな頂に12畳間ほどの祠があり奥にマリア像が安置されています。ここの灯明は決して絶やされる事なく訪れる人たちによってオイルが追加されているようでした。ながい、とてもながいおばあちゃんのお祈りが始まりました。きっとこれが最後のお祈りになるのでしょう。このありようを見ていたら、きっとおばあちゃんは満たされて逝き、又満たされて迎えられるだろうと確信しました。とても真摯なファミリー全員でのお祈りでした。眼下には広大なエーゲの青い海が広がっています。

まばゆいような日々が続き、人たちの心にも触れて、そして、だったら私の恋の病は少しは癒えたのかと問いかけたら、、まったく駄目でした!!美しく満たされた自然が私を包み込むほどに、島の人たちとの暖かい交流が芽生えるほどに私の真我はタカコの裏切りに対しての対処法を見つけられはしないのでした。このままでは、とてもパリに帰って創作には入れない自分がまだここにいました!!悩みました、考え抜きました、どうしたらいいのだろう、答えは見つかりませんでした、、、。だったらまだ走るしかないのか、かといって、何処え!?

ヨーロッパ、北アフリカと走りきってしまったではないか、これ以上何処へ向かって走ればいいのだろう、、、。そこまで考えたとき想像もしなかった国が頭によぎりました。NYにいてたくさんの旅人に出会い、彼らが口々に叫んだインドの許容しがたい現実、そしてその底知れない魅力。だからと言って決して私が訪れる事はないだろうと頭から信じていたカオスの国インド!!ここはヨーロッパの東のはずれでした、ここからトルコ中東へと走ればシルクロードを辿ってインドへと道は続いている、、、、!!

サハラでも癒せなかった、このエーゲでも癒せそうにない。という事はまるでイメイジさえした事のなかったインドへと行くしかないのではないか。ここまで思考したら、、もうそこに向かっていくしかないだろう私がいました!!エーゲの夏が終わるまでにあと二週間、そしたら、又走るか灼熱の中東の荒れ野から、その先のインドへと向かって、、、。

こうして私は未知の大地に向かって行くしかなくなってしまい、それ以外の選択肢は考えられなかったのです。一体、私の愛車、中古のルノー1000CCはその道程を走りきる事が出来るのだろうか。もしも動かなくなったら捨てるしかない、そこからはザックを担いで旅を続ければいい事だ!!この時の私には中東の国々のいくつかがならず者国家だなどとは知るゆえもありませんでした。そのように考えをまとめたらようやくに落ち着きました。そして、、リサの悲しそうな面影が浮かびました、、、!!どうしているかリサは、、あのときに言ったように浜で私の来るのを待っているのだろうか。多分、待っているだろう、、、。私が恋の病で苦しんでいるようにリサも心穏やかでなく過ごしているのかもしれない。だとしたらとってもかわいそうなことだ。私にはリサをいじめたい気持ちなんてもうとうないのだから。ただ私のわがままが行きたくないと言っているだけなのです、、、!!

だったら私からそのわがままを取ったらどうなるのか。そしたら恋がれている女性の呼びかけに対しては応えてあげるのが道理かもしれない。これからの旅路にリサの悲しそうな顔を思い出すのはよくないだろう。2〜3日行ってみようか、リサのいる浜へと、、、、。

そのように決めたらとても気が楽になりました。

「ママー、、、マッマーッ、、、」

「なんだねえ、トミ、、、おっきな声でさあ」

「ママね、俺ね、2〜3日他のビーチに行ってくるからね。部屋も荷物もこのままにしておくから、お願い、、、ネッ、、」

私の言葉に怪訝そうな顔つきをしたママでした。

「、、、、何処へ行くのかねえ、、、トミは。あのテントを張ってたイギリス娘に逢いに行くのかい!!」

まいりました、ママは全てお見とうしです。だからと言ってそうですと答えられる私はいませんでした。

「ンッ、、、そうじゃないけどさあ、、チョット他の浜でも泳いで見たくなったからね。じゃあね、行ってくるね。すぐに帰ってくるからね」

苦しい言い訳をして私はシティアーの浜を後にしました。エーゲの澄んだ海辺を右手に見ながら軽やかなコーナーリングで快適ドライブでした。リサ達がいるビーチの入り口に着いたら、、そのコーナーの目立つ木の幹に、、シッカリと目に付く黄色の張り紙がしてあります。そこには(トミへ、、ここを左に曲がって200メートル行ったら右に曲がって)と、書いてあります。そして行ってみるとそこにも又次の指示が書いて張ってありました、、、、全部で4〜5枚も有ったでしょうか。、、、、私は、、来てよかったと思いました。なぜならここまでして待ってるりサの心情を思ったら、とてもいじらしくてかわいそうになってしまいました。最後の指示で松林の間を縫って浜辺のへりにまで車を入れて止めました、、、。ここで道は行き止まりです。目の前には白い広いビーチが広がり沢山の旅人たちでにぎわっています。

ここにリサはいるのかなと目を凝らしてみたら数本の松ノ木の向こうの白浜に海を見ながらつくねんとして座っている女性の後姿が見えました。、、、あれは、、リサじゃないか!?、、、どうしてリサガここに座っているんだろう!!、、こうして毎日リサは私の来るのを待っていたのだろうか、、、。私は大声で呼んでみました。

「リサーッ、、、、リーッサー、、、」

二度目のコールに反応した彼女が振り返りました、、、やはりリサです!!

「トミ、、、トミー、、、、」

私を認めた彼女が立ち上がり砂をけってかけてきて、そのままひろげた私の腕の中に飛び込んできました。

「来てくれた、、、来てくれたのねトミーッ」

「ん、、、やっぱり、、リサに逢いたくなったよ、だから来た」

「きっと来てくれるとあたし思ってたもん、、だから、トミがここに来てアタシがどこにいるか分からないと困るから毎日ここで待ってたんだよ。友達はねトミはきっと来ないからあきらめろってみんなが言ってたわ、、、」

私は背筋が寒くなる想いでした、、、もしも来なかったら、、、どんなにかリサは傷ついたことだろう。こうしてここまで来たんだ、思いっきりリサに応えてあげよう。私はそう思いました。だから、その日は沖に浮かぶ無人島に二人で泳いでいきました。片道2時間余りの遠泳でした。リサはシッカリ私の泳ぎについてきました。

「リサ、、他の浜へと二人で逃げ出そうか、、」

「ウソーッ、、、トミ、、いいの、あたし本気にしちゃうよ!!じゃあ、友達にそう言っちゃってもいいのね。ザック、トミの車に積んじゃうよ、、いいのね」

リサは仲間にこのことを伝えました。皆が大喜びでした。仲間が言います。

「トミ、リサにやさしくしてあげてね、駄目だよいじめちゃあ、、、」

「ラジャーッ、、、、大事にするよ」

「だったら5日後にイラクリオンのエアーポートで会いましょう。、、、」

その日が彼女たちがロンドンへと帰る最終日でした。

手放しで喜ぶリサと二人で誰もいない西の浜に出かけました。そこは二人だけのヌーディストビーチになります、裸で海に入り裸で砂に転げては愛し合いました。私にとって、これはリサに対する、、ある種の同情でした、、、、!!なぜなら私には無防備で恋を楽しめる精神状態ではとてもなかったのですから、、、。

せめて、楽しく満たされた笑顔を取り戻したリサを、傍らに感じることが私には救いでした。しかし、リサの心情にまでは応えられない自分を卑怯な奴だとののしりながらの旅行きでした!!

約束の日に私たちはイラクリオン空港で彼女の仲間たちと落ち合いました。それぞれがそれぞれの思い出を作ったクレタ島のバケイションだったでしょう。それではこれでというお別れのときに皆が口をそろえて言いました!!

「トミ、、ありがとうね、ほんとに楽しかったわ、、、。それでね、聞いたらトミこれからインドまで走るって言うじゃない、それってだいたいは野宿になるんでしょう、だったらトミは自炊もしたほうがいいんじゃあないかなって、、、だからねあたしたちが持ってる自炊道具ねこれ全部トミにプレゼントしようかって話が決まったのね、、、。簡易ガスコンロからそろっているから、、、ネッ、、これあたしたちからのお礼でーす。どうぞもらって下さーい。そしてグッドラック、、、」

「チョット待ってよ、、、いいよ、そんなの、、、悪いじゃない」

あせった私でしたが、、どんなに断っても後に引かない彼女たちだったので、とうとうOKしてもらう事にしました。これからの中東の原野で役に立つだろうと思いました。

「ありがとう、じゃね、、リサ、、」

別れの抱擁と軽いキッスをしたときにリサがささやきました。

「トミのこの旅は、、、後1年くらいできっと終わるよね、、そしたらあたしNYへ手紙書くからね」

「ンッ、、、、!!」

5日ぶりにシティアーのペンションに帰りました、、夕暮れ時でした。ただいまーハローママーとか陽気に声をかけながら木戸をくぐった私でした。しかし、その声に答えて出てきたママの顔は尋常ではありませんでした。

「トミッ、、、ワッ、、トミだね!!」

「そうだよママ、俺だよどうしたの、何かあったの?」

「何かじゃあないでしょうトミ、、、あんたは2日で帰ってくるって言うのを5日も帰ってこないんだからア。みんなで心配して、きっとトミは神風ドライバーだからどこかのがけから車ごと海に落ちたんだとババもドクターも、、、昨日も今日もあっちへこっちへ探しに行ってるんだよう、、!!」

なんて事でしょう、それは2〜3日とは言ったけれど、たかだか一介の投宿人に、、、ましてや荷物は全部置いてあるのに、ここまでの心配をこの人たちはするものかと私のほうが驚愕してしまいました!!ママはもう半分泣いているのです!!

「そう、、、、ゴメンヨ、、、、ママ」

それから1〜2時間してババもドクトルジョージも帰ってきました。もう大さわぎです。

「トミーッ、、こいつめえ心配をかけおってーッ、、、これを見てみろ、これがなんだか分かるかア」

ジョージの大声にふりまわされながら、、彼が示したガーデンの石のテーブルサイドにぶら下がっているひょうたんを見てみました。そこにはどうも軍艦と日章旗が掘り込まれているようでした。

「これは戦艦大和だア、、、一体お前がどうしてるかと心配で私はこれを彫りながらお前の無事を祈っていたんだぞう、、、」

こんな風にまるで家族のようにして彼らは私の心配をしてくれるのでした。ヨーロッパから北アフリカそして又ヨーロッパへと帰ってきては、その東のはずれのエーゲ海に浮かぶ島で私は心洗われる思いで人のぬくもりにどっぷりとつかっていました。この夜のパーティーは逗留中のドイツ人夫妻やイギリス人の新婚若夫婦も交えてのにぎやかなものになりました。彼らは毎年ここにやってくるリピターでしたから当然ガーデンのひょうたんにも最初に訪れたときからの思い出が彫られていました。この席上で私はこのクレタ島を後にしたなら、少しエジプトによってから中東を走ってインドへと行ってみると皆に伝えました。又ババとかドクトルジョージが騒ぎ出しました!!

「トミ、、、なんだって中東とかインドとか危険なところに行くんだ、、もういいから、トミは何処えも行くな、私の子になってずっとここにいたらいい、なッ、そうしろ、私の家族になれ」

これがババの言い分でした。ジョージは、

「どうにも仕方のない奴だなトミは、、、まったく、行くといったらトミはきっと行くのだろうが、、忘れるなよトミここの事をな。そしていつでもいいからきっと又この浜に帰ってくると約束をしろ」

こう、まくし立てては大きな手で私を抱きかかえるジョージです。私は狐につままれたような思いで彼らの溢れる愛に包まれていました。翌日のランチには自炊の練習をしてみようかとリサたちにもらった炊事道具を広げて出来ない料理をガーデンでトライしていたのですが、これを目に留めたドイツの自動車会社の社長夫妻が見るに見かねたらしくてヘルプを申し出てきました。

「何をやっているんだろう、、、トミはスープを作っているようだが、それでは、、いけない、私がドイツの美味しいスープの作り方を教えてあげよう」

なんと2日がかりで手とり足とり夫妻は何も料理の知識がない私に一生懸命に教えてくれました、、、!!そしてしまいには彼は自分の腕の金時計を外して、、これを持っていってくれないかと言いました、、、。その理由は、、

「ここを出て、